例えば、木陰の下で。
 こんな勘違いも、悪くは無い。



幸せな勘違い



「ユーリ、疲れてます?」

 ザーフィアス城中庭の木陰の下。にこにこと満面の笑みで間近に迫られ。ユーリは、困った様に眉尻を下げて愛しい姫君の眼差しを真正面から受け止めた。
 距離的には、傍からすればキスをしていると早合点――否、誰もが一様に断定するだろう近さだ。はっきり言って、近過ぎる。このままほんの少し顔を近付ければ、本当にキス出来そうだ。
 両手を胸の前で組み、乗り出してくる様な格好は男性としては試されているのではないかとユーリは冗談でもなく本気で勘繰りたくなった。彼女に他意が無いだけに、余計に質が悪い。


 これ他の男だったら絶対勘違いすんぞお前他の男性にはこんな不用意に近付いたりすんなよ危ないからいやフレンとかにもやりそうだよなでもあいつはリタがいるから手を出したりしないしそこら辺はしっかり弁えてるから逆にやんわりと正しい方向に教育してくれるかもしれないでもそれはそれで惜しいよなこの体勢は別に嫌いというわけではいやでもな―――


 脳内で句読点を挟まず一気に並べ上げ。それから、ユーリは一つ肩で大きく溜息を吐いた。何でこんな事になったんだっけかと、少しだけ遠い目をしたくなる。
 確か、ギルドの仕事がひと段落着いて。数週間ぶりに帝都に戻ってきたついでに、フレンの所に顔を出したのがそもそもの始まりだった気がする。その前にハルルに移住したエステルに顔を見せようかと立ち寄ったのだが、ここ数日は政策に携わって城に泊り込みをしていると聞いて城に直行したのだ。

 星喰みを倒してから一年。魔導器という便利な生活必需品を失った世界は、混乱に満ち溢れていたが。それでも騎士団、ユニオンを核としたギルド、何より皇帝に即位したヨーデルの指揮の元に何とか生活基盤が築かれつつあった。凛々の明星も微力ながら世界中を奔走している。
 リタは魔導士の一員として精霊研究に余念が無く、最近は魔術も確立しつつあって。レイヴンはギルドと帝国――騎士団との仲介役を果たし、新しく興された街オルニオンの存在もあって本当に少しずつではあるが順調に歩み寄りを見せているようだ。協力して世界を駆け回る姿は、忙殺されながらも何処か生き生きとしていた。

 そして、その中で。先日騎士団長に正式に就任したフレンは、更にその上を行く多忙さだという。昼夜寝る間を惜しんで東奔西走していると風の噂に聞いて、これは寝かし付けなきゃ駄目だなと、エステルに会う前に親友の部屋に窓からノックをしつつ進入した。
 フレンの部屋は、窓が扉の代わりだ。頭のお堅い親友は「不法侵入だ」と文句を言いながらも、きちんと窓の鍵は外してくれている。いつでも迎えてくれる場所があるのは幸せな事だと、噛み締めてもいる。本人には絶対に言伝してはやらないが。
 それはともかく。
 自身の懸念を他所に、顔を合わせたフレンは、想像していたよりも溌剌としていた。世のために奮闘出来ている喜びが上乗せされているという要因もあるだろうが、睡眠不足という不安要素はお世辞にも見当たらなくて。
 「いつも頑固に誰の意見も聞かなかった騎士団長様が、遂に歳には勝てなくなったか?」と茶化してやると、フレンはさらりと「この前遊びに来たリタに、実験段階のファイアボールをぶっ放されて無理矢理寝かしつけられた」と言ってのけてきた。
 思ってもいない惚気――本人は全く惚気の意思の欠片も無いだろうが――を聞かされ、我知らず目が点になった。寝耳に水とはまさにこの事だと、感心したものだ。
 あのリタがねえ、と。にやりと口元を歪ませると、フレンは「エステリーゼ様は庭にいるよ」と鮮やかに方向転換をしてくれた。

 そう。それが、全ての始まりだった。

 会っていない時間など、関係ない。ただ、それでも心は自然とそちらに向いてしまう。フレンもそれを見透かしているから、「今日あたりに戻って来ると聞いて、朝から落ち着かなかったみたいだから。早く安心させてあげて欲しい」と懇願という名の後押しをしてくれた。
 だから、「サンキュ」と片手を上げて。再度窓枠に足をかけ、一気に飛び降りた。フレンの部屋の窓は中庭への最短距離なのだ。最初の頃は「行儀が悪いよ」と咎められていたが、最近は諦めた様だ。ただ、「怪我しても治療はしないからね」とだけ補足して苦笑するに止めている。大いなる進歩だ。

 華麗に着地も成功し、少し辺りを見回してみると、果たして捜し人はいた。緑に溢れ、のんびりと清楚な空気を纏う中庭の中に咲く一輪の花として、木陰の下で本を読んでいた。
 新緑の海が広がる中に在る綺麗な色を付けた彼女は、一際鮮やかに映る。溶け込む様に、それでもひっそりと咲き誇る様は、実に彼女らしい。
 姿を認めただけなのに、こんなにも浮き立つ自分に「オレ、こんなキャラだっけか」と失笑しながらも悪い気は全くせず。そんな自分に呆れながら、「エステル」と諸々の感情を振り払う様に声をかけた。
 すると、彼女はそれこそ蕾が一気に花開いた様な笑顔を向けてくるものだから。釣られてこちらも頬を緩ませてしまった。「おかえりなさい、ユーリ!」と抱きついてくる彼女に、「よう、ただいま」と難なく抱き留めてやる。抱きつき癖は相変わらずらしいと、変わらない彼女を微笑ましく思った。
 旅をしている間に見てきた事件とか、今はオルニオンの少し南西から望む海辺の景色が最高だとか、様々な談話をして。離れていた時間を埋める様に、二人で他愛も無い話をした。そこまでは、極普通のやり取りだった。
 そう。
 エステルが、この一言を投げ付けてくるまでは。

「ユーリ、疲れてます?」

 唐突に差し出された労りに、普段ならユーリも「いや、特に」とか「あー、少しな」とか平然と返していただろう。
 が、今回は何となく素直に返答するのが憚られた。それはもう共に過ごしてきた経験則の思し召しだったのかもしれない。
 エステルの瞳は、心配そうにしながらも何処か期待に満ち溢れていて。まるでこちらが「ああ」と首肯してくるのを待ち望んでいるかの様だった。こうして身を乗り出して迫る姿が、何よりの証拠だ。
 今度は誰に何を吹き込まれやがったと、内心で嘆息して。けれど、じーっと、じ――っと、じ―――っと、期待通りの回答をするまで際限なく見つめられそうだったので、早々に折れる事にした。彼女が何をやらかしてくれるのか、興味もあった。ちょっとだけ悪戯心も湧いたが、それで彼女の試みを壊してしまうのも惜しい。
「・・・・・・あー、そうだなぁ。さすがに休み無く飛び回り続けたら疲れるわな」
「ユーリ、身体は休めなきゃ駄目です!そんなに長い間・・・・・・」
「いや、寝てはいたぞ。どっかの騎士団長と違って」
「・・・・・・本当です?」
「ホントホント」
 引き合いに出された比較対象のおかげで妙に説得力があったのか、エステルは少しだけ疑わしげな眼差しを向けながらも、すぐに納得した。こんな時は親友様々だと、ユーリは好き勝手に感謝する。
 すると、エステルはぐっと両拳を握り締め。決意した様に、きっと凛々しく顔を上げ。
「じゃあ、ユーリ。今日は、もう寝て下さい」
「は?」
「だから、寝て下さい」
 真昼間からいきなり寝てろ宣言をされ。ユーリは突拍子も無い命令に何事だと首を捻るが。


―――私の膝を、存分に枕にしちゃって下さい!」
 何を言い出すんだ、このお姫様は。


 とんでもない――少なくとも、ただ平穏に日常を送るだけなら絶対にエステルの口からは出てこない様な提案に、ユーリは一瞬言葉に詰まった。それでも心の中で即座にツッコミを入れる事は忘れない。
 存分にって。枕にするのに存分にってどういう了見だ、と。ユーリは頭痛を覚えてこめかみを押さえた。本当に何を吹き込まれたんだと、再度遠い目になる。
「あーとな、・・・・・・一応理由を聞いても良いか」
「はい!男の人は、あ、・・・・・・愛する人の膝を枕代わりにして寝ると疲れが一気に吹き飛ぶと教えてもらったんです」
「ほーう。それ、おっさんの入れ知恵か?」
「違います。ジュディスが、そう助言してくれたんです」
 ジュディかよ。
 少々想定外の犯人に、ユーリは美人なクリティア族の顔を思い浮かべる。まあ、彼女なら平気で宣いそうだなと得心してしまうのが悔しい。
 だが、「愛する人」という部分に羞恥でどもってしまうのは、何ともエステルらしい。可愛らしい姿を拝めた事には、ジュディのお手柄として拍手しておく。
 自身の発言を振り返って、余程小っ恥ずかしくなったのか。今や耳まで真っ赤にして俯いてしまっているエステルに、ユーリは、ふっと綻んだ。――それが、彼女にしか見せない類の笑みだと知悉しているのは、本人を含めて誰もいない。
 ここまで彼女が勇気を見せてくれたのだ。応えなければ男が廃る。

「んじゃ、休ませてもらうかな」

 背を向けながら軽く承諾するユーリに、エステルが「え?」と気配だけで問いかけると。ユーリは、背を向けたのと同じくらい軽い調子で振り返り。
「してくれんだろ?膝枕」
 頼りにしてるぜ、と。ウィンクして囁いてやれば。「はい!」と笑顔を咲かせて何度も頷き、エステルはいそいそと座り直す。歓喜を奏でているのは、もしかしなくとも確実だ。ここまで喜ばれると、乗った甲斐もあるというものだ。自然とユーリの表情も明るくなる。

 ご丁寧にお膳立てされた彼女の枕。そこに、大雑把に、だが慎重に頭を乗せて。現在の態勢を顧みて「これじゃまるで恋人同士じゃねえか」と、ユーリは今更ながらに彼女との関係を他人事のように解析した。
 承服はしてみたものの、これは、かなり照れくさい。顔には出さずに、ユーリは柄じゃないと悟る。フレン辺りに発覚されたら爆笑されるかもしれない。
 けれど。こそばゆく感じている間に、彼女の手の平が視界を覆う様にユーリの両目を塞いで。ほんのりと優しい温もりに、心が不思議と凪いでいくのを知覚する。
 ふわりと、風に乗って届けられた草木の匂いに交じる彼女の香り。視覚を塞がれている分、余計に彼女の存在を身近に感じて。
 疲れが一気に吹き飛ぶというのは、案外真実かもしれないと。認識を改める。


 ―――まあ、たまにはこういうのも悪くは無い、か。


 誰にも発見されなければな、と。ほんの少々の憂慮が浮かんだが。無粋な邪魔立ては無しにするかと、ユーリは大人しく誘われる眠気に意識を沈ませた。


 木陰の下で。
 勘違いから導き出される安らぎも、幸せの一つ。





バカップル。でも、変にいちゃいちゃはしないのが理想。主導権はユーリ時々エステルな感じで。
ユーリはキスとかは平然としていそうだけど、膝枕は駄目そうです(笑)。

【2008/11/30】

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