いつの間にか目を奪われる。
 その意味は、どうかまだ知らないままで。



触れられぬ境界



「あいつは、困った人を見るといつも真っ直ぐなんです」
 以前。まだ城を抜け出して外の世界を目にする前。フレンは、楽しそうに親友の話をしてくれた。
 城で軟禁に近い生活を送っていた日々。いつも、フレンが部屋を訪ねてくれて。護衛という名のお茶会を披露している時に、彼は外での出来事を、特に下町時代の親友の事をよく話してくれた。
 いつも穏やかな笑みを湛えていた彼は、親友が雑談の中心になった時は表情がよく変化した。
 少し困った様に目を細めたり、満面の笑みを湛えたり、かと思えば今にも説教をしそうな勢いで思案顔になったり。
 でも、どの顔であっても。どんな話よりも何よりも、空気も表情も柔らかかった。本当に嬉しそうに語る様は、彼が如何にその親友を大切にしているのかが伝わってきて、とても微笑ましかった。
 その日も、当然の様に親友が話題に上り。「困っている人がいれば放っておけなくて。いつも無茶をする」と、心配そうに、少し怒った様に、――けれど、誇らしげに語ってくれた。
 誠実で、優しくて、いつだって親身になってくれた彼が。そこまで信を置き、心を許す相手。彼が誰かについてここまで話を振るのは、他に例を見なくて。
 だから、会いたかった。興味が、沸いた。
 いつか、会って。そして、直にお話をしてみたかった。
 城を抜け出せない自分では、一生授けられぬ機会だろうと。夢で描くだけの、手の届かぬ願いだと。分かってはいたけれど。
 それでも。
「いつか、エステリーゼ様にも紹介出来ればと思っています」
 フレンが、そこまで言う人物に。自分も、会ってみたかった。

 どんな人なのだろう。どんな喋り方をするのだろう。どんな目をしているのだろう。どんな仕草を見せてくれるのだろう。
 何が好きなのだろう。苦手なものは何だろう。
 どんな風に笑うのだろう。怒る時はどうするのだろう。喜んだらどんな顔をするのだろう。楽しい時は声を上げるのだろうか。
 自分には、どんな眼差しを向けてくれるのだろう。彼自身も気付かない癖はあるのだろうか。
 自分も、彼らの中に入っていけるだろうか。そんな事を考えている暇は、その時機が訪れたならきっと無いのだろうけれど。
 どの様に、自分を見てくれるのだろう。素性を知っても、態度を変えないでいてくれるだろうか。

 自分と一緒に、お喋りをしてくれるだろうか。

 期待は、膨らんで。抑え切れずに、胸は高鳴る。
 会えなければ会えないだけ、想いは募って。
 人とあまり接する場面が無い自分は、新しい人と出会うその瞬間こそ貴重だった。
 だから。もし、彼と顔を合わせたなら。一も二もなく話をしよう。例えこの手を振り払われても、食い下がろう。
 楽しくて、悲しくて。微かな希望であり、儚い幻想。
 けれど。
 もし、会えたなら―――





「・・・・・・まーた人の話聞いちゃいないし」
 隣で呆れ気味に呟かれ。エステルは、ぱっと現実に立ち返ってきた。きょろきょろと辺りを見渡して、今し方まで思考の中心であった漆黒の存在を認めてしまい、訳も無く頬が熱くなる。
「あ、え、な、何です?」
「いーや。・・・・・・歩きながら寝てて普段と変わらず遅れずに付いて来んのは、凄い特技だけどな。いくら何でも魔物の群れのど真ん中で発揮すんのは止めた方が良いぞ」
「え?・・・・・・あ」
 よっ、と声を上げ、ユーリは短く左手を振る。合わせて剣が鋭く回り、風が咆哮を上げながら大地を切り分け疾走する。
 何を、とエステルが思う間も無く、気付いた時には彼方の魔物が地面に叩き付けられていた。ぴくりと一度だけ痙攣し、動かなくなる。
 何が起きたのか理解出来ない間にも、ユーリは続け様に風を唸らせて衝撃波を飛ばし、左足を軸に高速で回転する。その勢いのまま背後から踊りかかってきた魔物を斬り上げ、目にも止まらぬ速さで振り下ろした。
 ダン!と魔物が地響きを上げて倒れ伏したのを横目に、ユーリは空高く跳躍し、一回転しながら勢い良く地面に剣を打ち下ろす。数コンマ遅れて地表が盛大に爆発し、周囲の魔物がまとめて弾け飛んだ。
 そこに追い討ちをかける様に、突如炎の嵐が巻き上がり。紅い気配が舞いながら空に溶け込む様に霧散した後には、全てが掻き消えていた。ただ、地面に少しだけ燻る煙だけが、何かが存在していたのだという証の様に揺らめき。それも、やがて立ち消えた。
 瞬き数回の間に過ぎ去った光景に。エステルは、ぱちぱちと何回か瞬いた後。

「・・・・・・ご、ごめんなさい、です」

 消え入る様に呟き、頭を下げた。ようやく思考回路が働き始め、理解が追い付き、恥ずかしさで死にそうになる。
 そうだ。今はアスピオからフレンを追いかけて再度ハルルへ向かっている最中で。魔物が徘徊している平原を突っ切っていたのだ。
 いつ襲撃を受けてもおかしくない現況で、自分はあろうことか物思いに耽り、過去へと旅立っていた。そのせいで、自分だけでなく仲間達を更に危険な状況に追い込むかもしれない可能性を作り上げて。事実、自分はユーリの手によって襲い来る毒牙から護られてしまった。
 ―――情けない。
 フレンに暗殺者に狙われていると伝えるために城から飛び出したというのに。もし、自分が倒れてしまったなら元も子もない。本末転倒もいい所だ。
 しかも。自分は、ユーリを巻き込んでしまっている。
 かなり強引に、ユーリに付いて来てしまって。城から抜け出す手伝いを懇願し、目的地までという条件で行動を共にしていただけなのに。結局、何処までもお世話になりっぱなしで。
 申し訳なさ過ぎて、エステルは堪らず俯いてしまった。顔が上げられない。
 ぎゅっと服の裾を握り締めて。ユーリにひたすら謝罪を続けていると。

「・・・・・・そこまで気に病むなよ。反省してんだろ?」

 ぽん、と頭を叩かれ。エステルは弾かれた様に顔を上げた。その際、ぱちりと夜空を映し出した様な瞳を見つけて。エステルは吸い込まれる様に目が離せなかった。
 そんなエステルの心境を知ってか知らずか。ユーリは、彼女が惹かれる夜の目をふっと細めて笑いかける。
「ま、確かに魔物の巣窟でボーッとすんのは感心しないけどな。誰だって、気が緩む時はあるもんさ。あんな風にな」
 目だけで指し示され。エステルが釣られてその先に視線を滑らすと、そろりそろりとリタの背後に忍び寄るカロルの姿が見受けられた。抜き足差し足忍び足を称するに相応しい足取りで、亀よりも遅くにじり寄り。
 両手で彼女の背中を押し出そうとした、まさにその時。
「・・・・・・ふぎゃっ!」
 瞬間、カロルの顔面にリタの裏拳がクリティカルヒットした。潰れた様な悲鳴を上げて、カロルが蹲る。悪戯を仕出かそうとした彼の末路を尻目にリタは「あ、ごめん。手が滑ったわ」とだけ残し、何事も無かったかの様に歩き出した。
 「ちょっ、ま、待ってよー!」というカロルの叫びを聞きながら、二人はその一部始終を眺め終え。
「・・・・・・な?」
「・・・・・・はい」
 笑いながら示唆されて、エステルも心持ち表情を明るくして同意した。どんな状況でもいつも通りに振る舞える彼らが傍にいる事は、頼もしく感じられる。
 それでも、思考に没頭しすぎて周りが見えなくなるのは感心出来ない。
 もう少し気を付けなければ、とエステルが改めて反省していると。笑う様に隣で気配が揺れた。
 何がおかしいのか。エステルが見上げながら目だけで問うと。

「あんまり悩みすぎてっとハゲんぞ」
「え!?ほ、本当です?」
「さぁなぁ」
「・・・・・・ユーリ!」

 からかわれた、と。気付いてエステルは気持ち頬を膨らませた。怒りました、と顔一杯に押し出す彼女に、ユーリは実に愉快そうににやりと笑んで。
「ま、そう深く考えんなって先人の言葉さ」
 行くぞ、と。軽く肩を叩いて促され、エステルは「は、はい」と慌てて後に続く。
 数歩進んだ所で、先程まで沈鬱だった気分が風の様に軽くなっている事に気付き。エステルは思わず先を行く背中を見つめた。
 心が晴れている理由は、言わずもがな。最前の会話のおかげだ。彼の茶化す様な物言いは、けれどいつだって誰かの力になっている。
 ある時は暗い雰囲気を吹き飛ばし、ある時は次に進むための原動力になり。どんな形であれ、彼の言葉を耳にすれば、どれだけ真っ暗な道であろうと、切り裂く様に光が差し込む。
 在りのままのその人を受け入れて。認めてくれて。
 そして。さり気無いタイミングで、彼は手を差し延べてくれる。フォローを入れてくれる。
 つい最近だって。アスピオで、リタに城の事やハルルの結界魔導器の事を問い詰められた時。ユーリが真っ先に割って入ってくれた。
 自分の素性を知っているわけではないのに。かと言って問い詰めるわけでもなく、極自然に返事に窮した自分の救い手となってくれた。
 優しくて。素直じゃなくて。真っ直ぐで。強くて。頑固で。皮肉屋で。
 誰よりも頼もしく、暖かく、懐の大きい人。

 ずっと、会ってみたいと思っていた。
 もし会えたなら、お話をしてみたいと願っていた。
 フレンが、世間話の様に何度も人となりを聞かせてくれた彼と、過ごしてみたかった。

 それが、叶って。
 実際の彼は、思い描いていた以上に素敵な人で。
 知れば知るほど、もっと知りたくなっていって。
 彼と過ごす時間は。ずっと、傍にいられる様な錯覚を引き起こしてしまう程に、楽しくて。時を忘れてしまう程に、夢中になっている自分がいた。
 でも。

“あいつは、困った人を見るといつも真っ直ぐなんです”

 ユーリは、どうなのだろう。
 ユーリにとって、自分は「困った人」だから。一緒にいてくれるのだろうか。
 今みたいに、魔物の群れの中心で呆けていたりする自分だから、手を差し延べてくれるのだろうか。
 フレンの話からすると、決してそれだけで長く一緒にいてくれる人で無いのは、分かってはいたけれど。
 でも。


 どうして、こんなに胸が熱くなるのだろう。


 何気無い一言にいちいち喜んで、落ち込んで、嬉しくなって、悲しくなって。
 彼のふとした仕草に目を奪われて。綺麗に磨き抜かれた漆黒の瞳をもっと見つめたいと、意味も無く希う自分がいて。
 気付けば、いつの間にか彼の姿を視界に収めていて。

 自分に笑いかけてくれる彼の優しさに、知らず胸が高鳴った。

 どうして、こんなに彼を意識しているのか。いつの間にか目が彼を捉えているのか。
 何故、と疑問を発しながら、差し止める自分が顔を出す。

 ―――まだ、知らなくて良い。

 このままが、良い。
 この空間が幸せだから。壊したくは無い。崩す契機になるかもしれない糸は、切らずに張り巡らせたままで。
 もし、解答を得てしまったなら。自分は、お城に帰還する時、身を切り裂かれる様な想いを味わってしまうかもしれない。
 だから。
 お願い。もう少しだけ、このままでいさせて。
 ささやかなわがままを抱き。その意味を、深く追求しないまま。エステルは、先程叩かれた肩が熱を持ち始めるのに首を傾げつつ、彼の隣にそっと並んだ。


 会えたなら、単純に話をしたいと思っていた。
 会ってからは、彼の背中を追いかけている自分がいた。
 けれど。

 背中を追いかけるより。彼の隣に立ちたいと。
 この時初めて、エステルは強く切望した。





基本、ユリエスはほのぼの希望。それでも自分が書くと全く別方向へ行くユリエス。
うちのエステルは自分の気持ちに鈍いというより、知るまでが恐い感じで。

【2008/11/17】

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