形にしなくとも。
 伝わるものは、ここに。



かわし、かわされ



 ―――寒い。
 ぼんやりとまどろみから浮上した直後。歓迎する様に自身を抱きこんできた寒気に、ユーリは僅かに顔を顰めた。蟠っていた眠気が無情にも一気に散ったので、二度寝は諦める事にして目を開ける。諦めた拍子に、もしかしなくともお目出度くない予感が過ぎったので開けたくはなかったが、状況を把握するためには仕方が無い。
 予想と寸分違わず、視界に冷たく薄暗い天井が映し出されるや否や、天井と認識する前にユーリはもう一度目を瞑った。瞼を開ける前とほぼ変わらない照度に、口内だけで溜息を漏らす。
 何故、こんな辛気臭い場所にいるのかと。覚醒する前の不自然な空白と照らし合わせ、ああ、と得心した。

 そういや。騎士をちょっと川にダイブさせて、牢屋に放り込まれたんだっけか。

 少し前の記憶を掘り起こしながら、ユーリは再度ゆるりと目を開けた。目が暗闇に慣れたせいなのか、先程よりも明確に部屋の輪郭が写し取れる。
 外界と完全に遮断された硬質の壁は、冷えた空気を表面に纏い、自分を囲む様に聳え立っていて。四角い箱庭の中は、少しかび臭い。
 背には、石畳で寝そべる方がまだマシと思える程に居心地の最悪なベッド。目線をずらせば、扉の代わりに下ろされた鉄製の格子が視認出来て。壁は少し傷が入っていたり色がくすんでいたりするのに、格子だけは頑丈そのものだ。警備はザルなくせに、こういう変な箇所に力を入れるのも可笑しな話だと取り留めもない事を脳裡に連ねる。
 ・・・・・・そうでもしないと、退屈で死にそうだ。少し先の未来を描いて、ユーリは心なしか頭痛を覚えた。これから最低5日間は閉じ込められたままかと思うと、自業自得とは言えげんなりしてしまう。
「・・・・・・ま、もう慣れたけどな」
 しょっちゅう騎士と揉め事を起こしては牢屋行きを繰り返していれば、過ごし方も堂に入ってくるというものだ。前にそう言って肩を竦めて見せたら、親友には怒られてしまったが。
 今回の事が耳に入れば、またあのお堅い親友は小言と共にすっ飛んでくるのだろう。想像して、ユーリが楽しそうに口元を吊り上げた矢先。
―――噂をすれば、か」
 一人で噂をしても出て来るもんなんだな、と。新事実を発見しつつ、ユーリは遠くで鳴らされた足音を拾い上げた。
 かつん、かつんと。規則正しいリズムを刻んで近付いてくる音色に、「生真面目な奴」とユーリはつくづく呆れてしまった。こんなはみ出し者のいる場所でまで気を張る必要は無いのにと、口には出さずに忠告してやる。どうせ、相手に伝えても変わりはしないだろうが。
 かつん、と。涼やかな音は牢の前で立ち止まり。番をしていた看守が敬礼する。
「フレン様!」
「彼と話がしたい。少しだけ、外してくれるだろうか?」
 僅かなやり取りだけで、看守は心得たという風に一礼し、足早に去っていく。
 その気配が完全に消えたのを確認してから。フレンと呼ばれた青年は、少しだけ意地悪く微笑んで、視線を牢屋の中へと定めてきた。目が笑いながらも笑っていないのは、恐らくユーリの気のせいではない。

「おはよう、ユーリ。部屋の居心地はどうだい?」
「ああ、優雅なひとときを過ごすには最っ適な場所だな。特に、この岩みたいなベッドの感触が、更にムードを引き立ててくれてるぜ。グレードアップしたんじゃねえの?」
「そうか。じゃあ、次からは氷の様に冷たいベッドを用意した方が良いかな」
「親切の押し売りって言葉、知ってっか?」
「気配り上手と言って欲しいな」

 飄々と言ってのける親友に、ユーリは「そうかよ」と投げ遣りに応じる。にこりと太陽の様に輝かしい笑顔を浮かべる今の彼には、何を言っても通じないと、長年の経験が告げてきた。しかも、「氷」と表現して、自分が何の罪で投獄されたのかも了承済みだと含みまで持たせてくるという切り返しっぷりだ。
 これは、旗色が悪い。ユーリは観念して、仕方無しに婉曲的に歓迎の狼煙を上げてやる。
「・・・・・・で、心お優しい小隊長様がこんな所で油売ってて良いのかよ。帝国の指針になるべき隊長様がサボっていたと知られたら、涙で帝都が水浸しになんだろ」
「心配ご無用。これも仕事の一環だ。犯罪者が脱走を企まぬための見回りでね」
「仕事熱心なこった」
「君と違ってね」
 言ってろ、と。軽口を叩きながら、ユーリはベッドの上で片膝を立てた。その際、もたれかかった背中がひんやりとして寒かったので、すぐに壁から距離を取る。
 ふと、降りた沈黙に心惹かれ。二人はしばらく徒に時を流す。しんと静寂が積もる感覚に、懐古を匂わせる居心地の良さを感じた。舞台が牢屋ではなく、部屋であったならもっと良かっただろうが。
 切り離された穏やかな空間に、だが他ならぬフレンが水を差した。少しだけ声音を和らげて、苦笑する。
「・・・・・・聞いたよ。税の取立てに来た騎士を、川に放り投げたんだってね」
「水遊びでもしてたんだろ?」
「君も一緒に水浴びすれば、少しは酌量があったのに」
「あいにく、川にダイブする趣味はオレには無いんでね」
「また、そういう事を・・・・・・」
 あからさまに嘆息しながら、フレンは呆れた様に首を振る。お小言モードに入る前触れに、ユーリは対抗して聞き流すモードに入った。
「君のことだから、何か事情があったんだろうけど」
「そうそう。ちょっくらのっぴきならない事情ってやつがな」
「それでも、罪は罪だよ。公務執行妨害だ」
「ま、そうでなきゃここにはいないわな」
「そこまで分かっているのに、」
 言葉を切って、フレンは疲労の色を乗せて目を伏せる。
 その先は紡がなくとも分かる。今まで何度も繰り返されたやり取りだ。騎士を辞めてから、数えるのも馬鹿らしくなる程に。

 そして。こうして、牢に入ったユーリの元へフレンが通うのも。いつしか築き上げられた暗黙の習慣となっていた。

 放っておけよと。軽犯罪ばかりとはいえ、騎士からすれば厄介者でしかない自分と必要以上に関われば、フレンも立場が危うくなるかもしれないと。いつだか親切に遠回しに助言したら、「それで折れるなら、今頃とっくに騎士団を追放されている」とやんわり切り返された。下町育ち故のタフさは歓迎されるべき利点だが、発揮されるべき場所を間違っていないかとは、敢えて指摘してやらなかった。どうせ、言っても無駄な事だと長年の付き合いから理解している。
 それに、下町特有のバイタリティは、21という若さで小隊長にまで昇格した事から、きちんと十二分に活用されている証明が成されているので、ユーリとしても特に口に出す必要性も無い。
 取り敢えず、フレンが元気なのを確認出来る手段でもあるので、こうして顔を出してくれるのは助かると言えば助かる。

 彼は、よく自分に「無茶をするな」と口うるさいが、実際は彼の方が無茶を働いているだろう。こうして、異例の出世を果たしているのが良い証拠だ。
 差別。弊害。悪意。排斥。中傷。嫌厭。無力。―――
 自分が騎士団を去ってから、どれだけの壁を越えてきたのか。恐らく、自分が想像している範囲なんて、可愛いものだろう。
 それでも、自身を貫き、信頼を勝ち取った。
 そんな彼が、誇らしくあり。

 少しだけ、―――

「・・・・・・それじゃあ、僕はそろそろ行くよ。あまり長居していても休めないだろうし」
「ああ、そうしとけ。とっとと休ませろ。でないと、あんまりに牢屋とお前というセッティングが不釣合い過ぎて、笑い死にすんぞ」
「まったく・・・・・・」
 刹那的に飛んだ意識を引っ張り戻し、皮肉を飛ばしてやれば。フレンは呆れ果てたと言わんばかりに微笑んで、踵を返そうとし―――
「そうだ。ユーリ、ちょっとこっちへ来てくれないか」
「あ?」
 忘れてた、と全身で表現しながら振り返るフレンに、ユーリは訝しげに眉を顰めながらも何の気なしに格子に近付く。
 何だよ、と。腰に手を当てて見据えてやると。

「少しの間、じっとしていてくれ」

 格子の隙間から手を伸ばし、フレンがユーリの左手を取る。「あ」と間の抜けた声を上げた時にはもう遅かった。
 淡く展開される魔法陣が周囲を鮮烈に照らし出し、何束もの光の筋となってユーリの左手に収束していく。瞬く間に優しく眩しい輝きに包まれ、霧散した後には、左手が煌きの余韻を残してフレンの右手に収まっていた。
 呆気に取られるユーリを余所に。フレンはうん、と一つ頷いて、にっこりと微笑んだ。夜気をも退かせる朝日みたいに、綺麗に。
「怪我をしていたみたいだから。化膿したりすると厄介だし、身体には気を付けて」
 風邪も引かない様に、と。念押しして今度こそフレンは踵を返す。ひらりと舞う外套に誘われる様に、後ろ姿を見送った。
 足音が耳朶を打たなくなるまで立ち竦んだ後。ふ、と笑みが込み上げてくる。衝動に動かされるままその場に座り込んで、場違いな笑い声を木霊させた。迷惑を被るのは、どうせ看守くらいだ。大目に見てもらう。
「ったく。あいつも、素直じゃねえのな」

 ついでみたいに装って。どうせ、最初から目的は「これ」だったんだろうに。

 騎士を川に放り投げた際、ユーリは左手の甲を欄干で強く擦り上げてしまったのだ。血が出ていたわけでも無いので放っておいたが、摩擦を起こした痕は熱を持っているし、火傷をしたみたいにじわりじわりと痛みを訴えていた。
 事の顛末を聴取した際、フレンはその事も聞き及んだのかもしれない。もしくは、出会った直後に目敏く拾ってしまったのかもしれない。
 その治療も含め、無事かどうかを確かめに来るのが、フレンの「見回り」の目的なのだ。


 僕のことを心配してくれるのは嬉しいけど、君も自分のことをもっと大事にしてくれ。


 秘められた案じる心に、自分が気付かないはずはない。
 そして。自分が、彼を気に掛けているのも。気付かれないはずはない。
 ―――ここ数年、ずっと付き纏う懸念。
 騎士達と接する彼は、上司であり、同僚であり、部下であり。
 その全てにおいて、彼は自分の本質を封じ込める。頭が固い固いと辟易する様になったのは、二人で騎士団の門戸を叩いてからだ。昔から少々頑固な側面はあったが、無茶振りは自分以上だったのだ。突っ走るのは、自分よりもむしろ彼の方が多かった。
 それが、今では立派な石頭に成長している。いや、成長せざるを得なかったと言うべきか。
 弱味を見せぬよう気を張って。目の前で踏み躙られる人々を見せ付けられ、それでも耐えて、ひたすら上を目指して上り詰めていく。それが、どんなに尋常でない精神力を要するか、分かっているつもりだ。
 自分は。眼前で奪われていく人々のささやかな幸せを、権利を見過ごせなくて、背を向けてしまったのだから。

「・・・・・・お前こそ、もっと自分を大事にしろよ」

 その内ぶっ倒れても、知らねえぞ。
 その時は、笑いながら見舞いぐらいはしてやるけどな。
 今はもう行ってしまった親友に悪態を吐きながら。遅すぎる治療への感謝を呟いて、ベッドに寝転がった。



 交わし、躱され。交わされ、躱して。
 自分達は、これからも自分達だけの方法で紡いでいくのだろう。





素直なんだか素直じゃないんだか理解に苦しむ二人。

【2008/11/17】

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