どうか、この日だけは。 誰の心も交わらせずに。 心、香る 部屋に踏み入った途端、むあっと蒸気の様に甘ったるい香りが充満した。本来、心の準備など欠片も必要としない場所で無防備に入室してしまったリタは、まず自分の好きな匂いに感激するでも率先して甘く浸るでもなく、大々的に眉を顰めた。腰に手を当て、空いた手では思わず鼻を覆う。 普段だったら何か事故でも起こったかと慌てる所だが、先程ここに辿り着くまでにハルルの街中を大闊歩してきたリタは、幸い近日中に繰り広げられる行事というものを把握していたため、至って冷静で落ち着き払っていた。やれやれと、肩を竦めるだけだ。 少しだけ噎せ返る匂いに慣れた鼻を手から解放し、ゆっくりとキッチンの方へと顔を出すと――元凶は、あった。いや、もっと詳細を述べるなら、更に「いた」が加わる。 ただ、予想外だったのは、その「いた」が一人ではなく、二人だったこと。テーブルの問題は取り敢えず脇に置いてしまうくらいには、リタにとっては意外だった。 「・・・・・・何やってんの、あんた達」 「あ、リタ!」 「よう、リタ。来たのか」 白い眼差しを惜しげもなく刺し込むリタに、この事件の犯人である二人はそれぞれらしい反応で彼女を迎えてくれた。エステルが、たたたと軽やかな音を立てて近寄り、ユーリはひらりと片手を上げて歓迎する。 あまりに平和で呑気な二人のムードに、リタは呆れ返って益々瞳を細めた。 「で。この惨状は、何?」 「え?惨状なんです?」 「ああ、いやな。エステルがバレンタインデーだからチョコ作りたいって言ってきたんで、作ってたとこなんだよ」 「そうなんです。本当は一人で作って驚かそうと思ったんですけど、ユーリがさっきどっさりと店の人から頂いたチョコを抱えて帰って来たので、二人で作ることにしたんです」 楽しいです、と満面の笑みではしゃぐエステルに、リタは呆れながらも苦笑した。 ふわりと蕾が花開く様に笑うエステルは、本当に輝いていて。可愛いとも綺麗とも軽々しくは形容しがたい、両方が織り交ざった雰囲気は、彼女が幸せである証なのだとしみじみ思う。 そう。世間でも浮き足立つこの時期。バレンタインデーとやらが、あと二日という所まで迫っていた。 アスピオでは薄い慣習ではあるが、ハルルでは年中観光客で溢れ返ったりお祭が好きな人が集まっている影響か、帝都よりもその色が濃い節がある。 女性達が緊張と不安と期待で盛り上がっていたり、男性達が努めて気にしない振りを装っていたりと、なかなかに観察していて面白かった。――正直に言うなら、苦笑いを浮かべた、ということだが。自分にはとんと縁が無い。 好奇心が強いエステルは、行事を素通りすることなく、また、クリスマスの時と同様に日頃の感謝をこめてチョコレートか何かを作るだろう予想は付いていたが。まさかユーリまで則って参加するとは、リタはこれっぽっちも予想はしていなかった。 まあ、甘い物が好きなユーリは行事に関係なくデザートを作り上げていたりするが、それとこれとは別問題である。 「あんたでも、行事にうるさかったりするわけ?」 「いや、小さい頃からこの日とかホワイトデーにはフレンと色々交換してたりしてたんでな。癖みたいなもんだ」 「・・・・・・はっ?」 彼の習慣はさることながら、予想外も予想外、一万光年も彼方の範囲外から恋人の名前が降ってきたことに、リタは反射的に声を上擦らせてしまった。 しまった、と我に返った時はもう遅く。ちろりと一瞥をくれると、案の定にたりと笑んだユーリがいて。罰の悪さと八つ当たりから、リタはぷいっと大袈裟に顔を背けた。仏頂面で、興味なさげに淡々と感想を述べる。 「ふーん。何ていうか、本当に仲良かったのね、あんた達」 「まあなあ。クリスマスとかも、金が無いながらも色々試行錯誤して祝ってたしな。特にこだわりはねえけど、やって損はねえだろ?」 「はい!皆で何かをするのも、一緒に過ごすのもとても素敵なことです。・・・・・・ユーリとフレンは、それを知っていたんですよね?」 「ああ?・・・・・・さあなあ」 まいったと言わんばかりにがりがり頭を掻くユーリと、その隣でにこにこと微笑むエステル。ユーリの苦笑は、彼女への白旗と同時に愛しさに溢れていた。 この二人は、時折前触れも無く立場が逆転する。エステルの洞察力にはリタも一目置いているが、ここで遺憾なく発揮するのは流石と言うべきか。 自分の代わりに一泡吹かせてくれたエステルに感謝をしつつ――もちろん、彼女自身はそんなつもりは全く無いわけだが――、リタは敢えて話題にしなかったテーブルの上の物体を見やる。かなり、呆れを大量に含ませて。 件のテーブルの上には、室内がほろ苦く、かつ甘い匂いで噎せ返る発信源。天井まで届かんばかりの巨大な生チョコデコレーションケーキ――いや、塔が聳え立っていた。もうこれはデコレーションケーキと呼ぶには相応しくは、無い。 スポンジを何段もそれこそ十は数えるほどに積み重ねられ。その上からたっぷりと生チョコレートで塗られた姿は、いっそ美しい。 その周りにはチョコレートドーナッツが輪になって並べられていて。他にもチョコポッキーや可愛らしくデザインされた板チョコやチョコツリーやチョコクッキーやチョコプリン・・・・・・それはもうチョコというチョコで埋め尽くされた、チョコレートの芸術が盛大に壮大に膨大に広がっていた。主に、上空へ向かって。 チョコレートコンクールなんてものがあれば、恐らくぶっちぎりで優勝するのではないかという位に出来栄えは素晴らしいものではあった。崩すのも、もったいない程に。 が。 「・・・・・・ねえ。これ、誰が食べんの?」 「あ?もちろん、オレ達だけど?」 「これは、まだ試作品なんです。バレンタインデーの次の日には完成系を皆で一緒に食べましょう!」 待って。これまだ完成してないわけ? ただでさえ、身長の倍以上の背丈と腰回りを一回りどころか二回りでも収まらない幅があるというのに。 ――その内、チョコレートで家でも建てるつもりじゃないでしょうね。 いつだったかエステルから聞いた童話か何かの、お菓子の家を思い出して。リタは甘い物好きらしからぬ表情でげんなりと肩を落とした。いくら甘い物に目が無いとはいえ、ここまで大量のものを見せ付けられれば、見ただけで満足を通り越した境地に辿り着く。 帰ろう。遊びに来たのは間違いだった。 並々ならぬ決意を固めて、リタが踵を返した、その時。 「そういえば、リタもフレンにあげるんです?」 見事なクリティカルヒットに、リタは盛大に噴出した。何か飲み物でも含んでいたなら、綺麗な虹が生成されただろう勢いだった。 「はっ!?なっ、何言って!」 「だってリタ、クリスマスの時もフレンにマフラーをプレゼントしていましたし。次の日皆で集まった時のフレン、凄く幸せそうで。リタも」 「あああああ、ストップ!ストップストップ!あ、あれは!・・・・・・あれは、あいつがどうしても欲しいって言うから!だから、仕方なくあげたのよ。サッシュベルトにでもしようかと思ってたのに」 「へえ、ベルトねえ。フレンは凄く驚いたって言」 「あんたは黙ってなさい!」 ピシャンと強引に撥ね付けて、リタは勢い良く180度回転した。今や耳まで真っ赤になっている彼女は、混乱状態で自身の変化に気付いていない。よって、ユーリがにやにやと意地悪く笑っているのにも感付けなかった。自分の回想に全力で沈没する。 あのクリスマスはとんでもないサプライズがあったわけだが、まさか二ヶ月も過ぎた今になって持ち出されることになるとは。エステルは予測不可能な人物であるが、ここでまで発揮するとは。悪気が無いだけに質が悪い。 わくわくと、両手を合わせて期待をこめたエステルの眼差しと。見守る様な、見抜かれているユーリの眼差しに、リタは居心地の悪さを感じ。 「―――野菜炒めを中に詰め込んで、くれてあげるわよ!」 捨て台詞を置き去りにして、バタンと力の限りドアを閉めたのだった。 この後、エステルが「リタ、可愛いです。恋する乙女です!」と照れた彼女を絶賛し、ユーリが「ああ。・・・・・・ま、フレンならどんなもんでも食ってくれんだろうよ」と太鼓判を押していたとかいなかったとか。 結局、あの後。帰るでもなく、その足で帝都に向かってしまったのは汚点であると、リタは今更ながらに後悔した。 けれど、ここまで来てとんぼ返りする気力もなく。一日かけてやって来た労力を無駄にしないためにと、言い訳を考えながらリタは壁を越えて城の中庭へと侵入した。 精霊の力を利用して彼女が開発した道具であれば、空中に浮かび上がるくらいどうってことはない。いずれは空をも飛んでやるつもりだ。 それは、さておき。 ザーフィアス城の中庭。梅の花が可愛らしく枝を覆い、可憐な色を青空と一緒に描き出している風景に心洗われる中。 こつん、と窓を叩いてリタは反応を待ってみた。 しばらく待機しても毛先ほども空気が揺るがないのを悟って、リタは窓の鍵を解除してから室内に滑り込んだ。「ユーリといい、君といい」とお小言が幻聴で耳に飛んで来た気がするが、余裕でスルーする。城の正面から堂々と訪ねるよりも、こちらの方が気楽で良いのだとはユーリの弁だが、その通りだとリタは大いに賛同している。 ざっと視線で室内を一撫でしてから、部屋の隅に目を留め――リタは失笑せざるを得なかった。次いで窓際の机の片隅に視線を置いて、彼らしいと目元を和らげる。 バレンタインデーまでまだ日はあるのだが、彼は既に女性からチョコレートを受け取っているようだ。室内の隅にきっちり設置されている大箱の中には、チョコレートが入っているのだろう小さなケースが何点か整理されていた。 そして、テーブルには、チョコに添えられていたのだろう手紙。すぐに捨てられないのは彼の性分なのか。無下に出来ないのは相変わらずらしいと、かつてユーリから耳に挟んだクローゼットの中のラブレターの件を回顧する。あの時の、目の前で暴露された時のフレンの慌てっぷりはなかなかに見物だった。平素から自分の前では余裕綽々な態度を崩してくれないから、尚更。ユーリを追及して正解だった。 毎年大量に本命義理入り乱れのチョコレートを頂く現騎士団長様は――それこそ遠征先でも一足も二足も早くもらうらしい――、とても自分だけでは処理しきれないと困り果てた末に部下の意見を聞き入れて、救児院に寄付することを選んだそうだ。 無断で実行するのは良心の呵責があると、一年前にその策を発表したのだが。「それでも良いから」とチョコを渡してくる女性が絶えないそうだ。人気者は、辛い。 チョコレートを受け取るのを断ることも視野に入れていたらしいが、ある日一人の女性に大泣きされて以来、部下達の助言もあって受理することにしたらしい。イメージ云々というやつだとか。 騎士団長でいるのも大変だと、リタは心底感心する。彼は、以前よりは大分彼らしい振る舞いで団長という役職をこなしているようだが、やはりそれでも制限はかかる。 ユーリが彼の前でしかなかなか片鱗を見せてくれない様に、彼も下町にいた頃の彼ではいられない。 「フレン・シーフォ」は殺される。完全に殺されるとは言わなくても、彼そのものを受け入れてくれる人が増えて来ていても、「本当の彼」を望まない部下達は未だ多い。少しでも本来の彼が、騎士団長としての彼を崩そうものなら、わざわざ道を正そうとする騎士達もいる。 現在の状況で、ユーリが、フレンが願った目標は達成されていない項目の方が多い。 けれど、それでも希望はある。魔導器が消失した今、世界の土台を根底から作り変える作業に移っている現在は、過去よりも余程彼らが目指した理想に近い。 だから、フレンが嬉しそうに団長としての激務を遂行しているのは知っている。頑張っているのを理解している。より良い、誰もが平等に暮らせる世界を目指して走り続けているのを、応援している。 フレンがフレンであり続けるのは、とても喜ばしい。 だからこそ。 「フレン」そのものを否定する話が、本人の与り知らぬ所で耳に入ってくるのは、気分の良いものではない。 リタだって、理性では認めているのだ。仕方が無いと。 「若すぎる」と煙たがる者達だって、決して少なくはない。どれほどの人望を集めていようとも、万人に受け入れられるのは夢にだって無い話だ。彼も、それは痛いほどに承知しているだろう。 彼は、絶対にそういった弱みを見せようとはしないから。ユーリと、同じで。彼は、周りが心配になるほどに強いから。 でも。 それは、何だか。 とても―――。 「・・・・・・まったく。少しは、自分を大切にしなさいよね」 「何が?」 「何がって・・・・・・ちょ、・・・・・・っ!?」 返ってくるはずのない愚痴に、返答されて。極自然に会話を続けようとして、リタは飛び上がらん勢いで振り向いた。ぱくぱくと、声にならない息だけを口から吐き出して目を見開く。 そこには。思考の中心にいた、件の人物が不思議そうな笑みを見せながら佇んでいて。太陽の様に眩い金色の髪と、雲ひとつない蒼穹を宿す双眸が、嬉しそうに揺れていた。 そう。自分の知っている、「フレン・シーフォ」が。騎士団長の顔を剥いで目の前に立っていた。 喜ぶ反面、あまりに突拍子もない出現に、ついでにタイミング的に最悪すぎる彼に、リタは完全なる八つ当たりを込めて怒鳴り散らした。 「何であんたがここにいるのよ!?」 「いや、ここは僕の部屋なんだけど。・・・・・・リタ、また窓から入った?」 「そうよ。何か文句ある?」 「あのね、リタ。窓はドアじゃないんだよ。知っているかい?」 「あったりまえじゃない。あたしを誰だと思ってるの?」 「リタはリタだよ。他でもない、僕が大切に思う女性だ。そうだろう?」 当然の様に断言されて、リタはぐっと言葉に詰まった。にこにこと優しい眼差しに抱き締められて、あまりの羞恥で口元をへの字に曲げて顔を逸らす。付き合って数ヶ月経つが、未だに彼の笑顔は心臓に悪い。ついでに、不意打ちの様に自分をありのままに包む台詞も。 仕返しするつもりが、追い討ちをかけられた。いつまで経っても手綱の主導権を握られっぱなしの現状を、リタは不本意ながらも受け入れた。別に悪い気がしないのは、病気なのだろう。捕まった時点で、負けだったのだ。恐らく、出会った時から。 けれど、そんな事を真正面から認めるリタではなく。腕を組んで不機嫌そうに横を向きかけ――ふと、止めた。中途半端な角度から、彼の手の中のものを見つめる。 彼の手には、四角く白い長方形の箱が納まっていた。水色のリボンで綺麗に結ばれたそれは、誰が見ても明確にプレゼントで。 ああ、またバレンタインデーの贈り物かと、リタが溜息を吐くと。 「―――あ。いや、これは」 慌てた様に背中に隠そうとするフレンに、リタは「ん?」と訝しげに片眉を跳ね上げた。思いも寄らなかった反応に、不信感を募らせる。 「何よ?」 「いや。ええっと、・・・・・・見たかな」 「見たわよ。バッチリはっきりこの目でしかと見届けたわ。何、バレンタインデーの贈り物をもらったんじゃないの?」 「いや、そう。・・・・・・うん?」 スマートで難なく壁を乗り越えてしまう彼の、いつもらしからぬ焦慮の晒しっぷりに、いよいよリタの中で猜疑心が芽生えた。両手を腰に当てて、ずいっと顔を思いっきり近付けてやる。 「何よ、あたしが嫉妬するとでも思ってんの?」 「その可能性は疾うに捨ててるんだけど」 「怪しいわね。じゃあ、何だってのよ?」 「ええっと、・・・・・・、・・・・・・・・・」 視線を空中に泳がせて、何やら取り繕おうと画策するフレンに、リタは更に糾弾しようとして――急に馬鹿馬鹿しくなって一歩後退した。 どうして自分はこんなにムキになっているのか。 話したくないなら、話さなければ良い。自分だって、話したくないことは、伝えるべきではないと判断したものは、理由が無い限り口にはしないだろう。 それだけのこと。深い意味は、無い。はずだ。 別に、嫉妬は無い。打ち明けてくれなくて、面白くは無いけれど。彼がどれだけ自分を大切にしてくれているかは、十分すぎるほど理解はしているから。 でも。 “二人で作ることにしたんです” あの、二人の創作とも言える巨大なデコレーションケーキ。 花開く幸せ真っ盛りなエステルの笑顔。その隣で意地悪い笑みを瞬かせながらも、幸せを一緒に咲かせるユーリ。 べたべたしているわけでもないし、実際にそれを見たわけでもないけれど。「寄り添う」という言葉が自然と当てはまる、二人。春の麗らかな陽気をそのまま織り上げる、パートナー。 何だか。彼らを見ていると、自分らしからぬ不安に似た感情が縛り付けてくる。 自分達は、あんな風に幸せを咲き誇らせているだろうか。自分だけが空回りするのではなく。誰が見ても「お似合いだ」とまで評価されなくても、立派に一輪でも咲かせているだろうか。 彼は、――「フレン」は、幸せを少しでも感じてくれているのだろうか。疲れてはいないだろうか。 一日の大半を「騎士団長の顔」をしていなければならない、彼。少しでも、「フレン」に還れる時間を、作ってあげたい。 そう、彼が「フレン」に戻れる時。自分が、ほんの片隅にでも、その拠り所になれたら。 だから。 “リタもフレンにあげるんです?” 自分は―――。 「・・・・・・本当は、明日まで秘密にするつもりだったんだけど」 見つかっちゃったなら仕方が無いな、と観念するフレンに、リタはぼんやりとした曖昧な意識を彼に向ける。 だから。 「これ」 すっと、滑らかに差し出された意味を把握することは、叶わなかった。 ただただ、霞がかった思考を鈍く走らせる。 「・・・・・・何?」 「君へのプレゼントだよ。僕からの」 「・・・・・・は?」 今度ははっきりと目的を明瞭にされて。 何度も言葉を反芻し、脳に刻み込み、徐々に意識にかかった靄を散らし―――。 「・・・・・・はっ!?」 文字通り、仰天した。気分的に仰け反りたかったが、変に身体は硬直して望み通りのリアクションを起こしてはくれない。ひたすらに腕を組ませたまま、直立不動の姿勢を保つ。 白い箱に水色のリボン。考えてみれば、この色彩は彼らしい組み合わせだ。まるで彼そのものを色という形にして、表現した様な。彼の心そのものが香るデザインだ。 そういえば、ユーリが「バレンタインデーやホワイトデーには昔色々交換していた」と話していたいた。気が、する。 ということは。すぐに話せなかった理由とは。 「・・・・・・何よ、それ」 己の思考暴走に、リタはがっくりと脱力した。前屈みになって、両膝に両手を当てて支える状態になってしまう。頭上で「リタ?」と心配そうな声が降ってきたが、構う余裕も無い。 いつもこうだ。自分ばかりが、彼の手の平で踊らされている。 他の者に対してならあくまで客観的に判断を下せるのに、彼に対してだけは余計な可能性に振り回される。沈着に、片付けられない。 しかも、最後にはこうして自分を喜ばせる結果を間違う事無く披露してくれるのだから。不安になるだけ取り越し苦労なのだ。 からくりを紐解かれて。ふっと、口元が緩むのが自分でも分かったが、抑制しきれなかった。顔を上げて、しかめっ面を作ろうとして失敗したのも、取り繕うことさえ出来なくて。リタは己の甘さに失笑する。 「バレンタインデーって、普通女性があげるものだと思うけど?」 「そうだね。でも、昔からユーリや下町の人達と交換してたから。あんまりそういう概念が無いんだ」 「・・・・・・あいつもそう言ってたわね」 「それに、僕がリタにあげたかったから。・・・・・・だから、受け取ってくれると嬉しいんだけど」 予告もなく、さらりと直球を投げられて。リタは反射的に、ぼっと顔を燃え上がらせた。髪の一本一本までが熱を帯びて、燃えて無くなってしまうのではないかとありえない懸念を抱く。 本当に、彼は誠実だ。その上、意地悪だ。こんな風にお願いをされて、受け取らないわけがない。 口惜しいのに、それを凌駕する感激が、「拒絶」なんて単語をこの世から抹消した。 「・・・・・・じゃあ、受け取っとくわ。そこまで言うなら」 「本当?ありがとう、リタ」 屈託無く感謝までされて、リタは今度こそ本気で憤死しそうになった。口元を片手でぞんざいに覆って、箱をしっかり握り締める。 太陽の様に眩しくて、でも木漏れ日みたいに柔らかく、日溜りみたいに暖かく抱き締めてくれる笑顔に、自分は恋焦がれた。 だから、こんなに間近でそれを発揮されると、どうして良いか分からなくなる。自分が、塗り替えられていく。まるで自分ではないみたいに、いつも通りの悪態が吐けない。 ―――もっと、笑って欲しいなんて。 そんな恋する乙女みたいに願う日が、自分に来るなんて。昔の自分に話したら、絶対に信じはしないだろう。鼻で笑うか、一笑に付すか、相手にしないかのどれかだ。 けれど。 「・・・・・・あのさ。あんた、明日って、時間ある?」 それを、受け入れざるを得ない状況に、自分は今身を置いている。 「明日?」 「あ、あたしはまだ、作ってないのよ。で、あたしは料理ってものは苦手で。こういう、お菓子作りも苦手で」 視線を明後日の方向に彷徨わせながら、でも口調だけは何とか聞き取りにくくならない様に気を付けて、歯切れ良く発音して。 一生懸命言い訳しながら説明する自分に、横槍を入れずに黙って聞き入ってくれる彼に。 “二人で作ることに” 一瞬。親友の声が、昨日目にした光景が、脳裏を掠めて。 「その、良かったら、なんだけど。・・・・・・明日、あたしと一緒にチョコレートケーキでも、作らない?」 少しだけ素直になるために、背中を後押してしてくれた。 きょとんと、瞬く気配が目で確認しなくても感じ取れた。ほんの僅かに驚きを含ませる雰囲気が、立ち上って。 今更ながらの自分の恥ずかしさ極まりない発言に、リタは慌てて言葉を重ねる。 「・・・・・・む、無理なら別に」 「―――もちろん。君となら、喜んで」 先に断られる恐怖を失くそうとした付け足しを打ち消して、フレンはにっこりと了承した。 弾かれた様にリタが顔を上げると、彼はこの上なく幸せそうに笑んでいて。雪が溶けて春を一杯に咲かせた綺麗な笑みに、目を奪われる。 視界に広がったのは、春の陽気。桜が満開になったみたいに咲き乱れた幸福。頬を撫でる優しい風。 それは、リタが心から望んだ願い。 「フレン・シーフォ」自身が、幸せに笑ってくれる光景。 彼が笑うと、こっちまで喜びに満たされるのだから。 ―――本当、最後まで敵わない。 悔しいから、絶対に言ってはやらないけれど。きっと、彼には筒抜けだろうから、それがまた腹立たしい。 でも。 「・・・・・・そ?じゃあ、明日下町で良い?」 「ああ、そうしよう。宿の女将さんにお願いしておくよ。・・・・・・それで、今日はこっちに泊まっていってくれるのかな?」 「ばっ、・・・・・・」 少しだけ意地の悪い、悪戯っ子みたいな笑みに声を失くして。いつもなら、「ばっかじゃないの?」と一蹴するところだ。 が。 笑ってくれるなら、ま、良っか。 彼に関してのみ敗北を認めるのも、悪くは無いと。そう思える自分は、十分幸せなのだ。そして、きっと、彼も。 それさえも、自分が春まっしぐらな人間になった証拠の気がして。 くすぐったい自身のツッコミは敢えて流しながら、リタは彼の心が香る大きな手を受け入れた。 どうか、この日だけは。誰の心も交わらせずに。 ただ、君の幸せだけを願う。 別に最後は怪しいことをするわけではないです(多分)。 一日遅れましたが、ハッピーバレンタイン!フレリタがどんどん甘くなっていくのに首を捻ります。多分すぐに自分は読み返せなくなります。恋愛話は恥ずかしい。 二人が作ったチョコがどんな爆弾・・・・・・いや、芸術になるのかはご想像にお任せで。 【2009/2/15】 |
| Return |