同じ想いを抱き、隣に並びながら。
 気付けばいつも、先を歩く君の背中を見ている。



君が触れ、花笑う



 その日は、月がとても綺麗な夜だった。
 簡素な作りではあるが、それでも下町時代に彼と二人暮らしていた頃よりは十二分に広い空間を有している、騎士見習いに宛がわれた相部屋に。自分と彼は、身じろぎする事無く鎮座していた。
 騎士団の門戸を一緒に叩き、宿舎の部屋割りで同じ場所に指定されたのだと知った時、「まーたお前と一緒か」と皮肉を飛ばしながらも嬉しそうに目を合わせてきた彼に釣られ、喜んだのも懐かしい。そんなに月日は経っていないはずなのに、もう何年も前の出来事の様に感じられる。
 あの頃は、何も知らなかった。
 いつだって何をするにも一緒で。隣には彼がいて。道だって、当然の如く定められ、導きを共に受けているのだと信じたくなるくらい二人で並んで歩いてきた。
 枯れ果てた荒地でも。前人未踏の干乾びた荒野でも。腐り切った底なし沼が敷き詰められた湿地帯でも。途方に暮れそうになる程に連なる坂道でも。挫折という二文字は頭の辞書には記されていなかった。
 彼が絶対に傍にいてくれるという安心感。背中を支えてくれるという拠り所。自分の中に聳え立つ支柱が、深く根を張っていたからかもしれない。
 意識はしていなかった。呼吸をするのと同じ位当たり前だと、錯覚していた。
 だから。

 彼が騎士団を辞めるのだと耳にした時。自分は、初めて彼が傍に居ない未来があるのだと知った。

 星が密やかに瞬き、静寂に満ちた夜の眠りを優しく包み込み。月が玲瓏に囀り、暗闇で世界が支配されぬ様に穏やかに照らしていた。
 部屋の中は、星と月の恩恵により辛うじて闇に飲み込まれずに輪郭を保っていて。静けさを打ち破る無粋な音もなく。ただ、背後から彼の気配だけが背を叩いてくる。
 自分は、窓枠に手をかけて。ひたすら、外を見つめ続けていた。
 奇しくもその夜は、満天の星空で。皮肉な巡り合わせに秘かに苦笑してしまったものだ。
 幼い頃は、よく二人で星空を見上げて、夜が明けるまで時も忘れて飽くことなく寄り添っていた。
 けれど。
 今、初めて自分達は、星空の下で別々の姿勢を貫いていた。
 自分は、窓から外界を一望しながらも、微笑いかけてくる星の囁きを目にすることはなく。彼は、ベッドに腰をかけながら視線を床に放り投げている。
 先に、問いを発したのは自分だった。引き止めたいと願いながらも、思い止まらせる意欲が沸かないのも事実だったから。
 だから、発した。彼を送り出すために。何も知らないフリを装って、解答が予め導かれた問いかけを投げてやった。
「僕達は、いつまで一緒にいられるのかな」
 もう既に、この時点で自分達は道を異にしていた。肩を並べて星空を見上げていないのが何よりの証拠。
 それでも。


「いつまでも一緒にはいられないだろ」


 平素なら、じんわりと心に染み込んでくる星々の清歌の代わりに。
 彼の落ち着いた、けれど断固たる声が、清冽な刃となって深奥に差し込んできた。





「本当に、君って人は・・・・・・」

 ひらりひらりと、粉雪の如く清楚で優雅な花の舞に。笑みを深くしながら、誰にともなくフレンは一人ぼやいた。どうせ、誰も聞いてやいないし、聞かれたくもない。部下であるソディアやウィチルを一応の見回りに送り出したのは、今の彼には酷く都合が良かった。
 魔物に襲撃を受け、養分を根こそぎ吸い取られたかの様にハルルの樹は枯れ果てていき。このままでは結界魔導器が故障したままだという絶望に晒されていたのが、数日前。
 現在では、ハルルの樹は立派に枝中に優美な花を咲かせ、絢爛でありながら冴え返る程に澄んだ空気を纏い、ハルル自慢の荘厳な象徴としてのびのびと空高く笑っていた。大地に根を這わせながら空をも覆ってしまう光景は、間近で見上げれば世界の全てがハルルの樹で包まれているのだと錯覚してしまうほどに圧巻だ。街の下方に風に誘われながら舞い踊る花弁は、陽光を弾いて真っ白に輝き、幻想的な花吹雪として瞳に映し出される。
 これ程までに綺麗に咲き誇り、花と風が織り成す玲瓏たる音楽を、今までの旅では目にすることはなかった。こんなにも心躍る絶景を、フレンは他に知らない。
 それを、親友の彼らの手で成したと聞知した時、フレンは驚くと同時に「彼らしい」と喜ばしく思ったものだ。
 だが。その明るい気持ちも、先程報告と共に部下から受け取った忌々しいもののせいで半減された。
 そう。フレンがぼやいた原因。問題は、自身の手に握られている白い紙切れの存在。
 それは。親友である彼が、指名手配されたという確固たる証拠。罪状、賞金額、犯罪者の氏名、似顔絵、外見の特徴が記された書面。

 すなわち、手配書だった。

 手配書を手渡された時。一瞬、全ての時間を止めて。すぐに、苦笑が漏れた。まったく、とその場で嘆息が声として外界に表出されなかったのは、自分で自分を褒めてやりたいと思う。表面上だけなら、困った風に笑みを崩したくらいにしか映らなかっただろうから、部下達に余計な気遣いをさせる心配も無い。
 「何故」という疑問より、「またか」という気持ちの方が勝るのは、彼の日頃の行いのせいだというのは言うまでもない。反論を挙げてくる者は、彼を熟知しているなら誰一人として存在はしないだろう。
「まったく・・・・・・5000ガルドだなんて、脱獄しただけでこんな高額をかけられるのは君くらいのものだよ」

 君だからこそ、「彼ら」も警戒しているのだろうけど。

 自身が渦中に置かれている帝国内の水面下の内部紛争を想起して、フレンは心持ち眉根を寄せた。もし予想通りだとするならば、自分は図らずとも彼を巻き込んだことになる。エステリーゼを同伴させているという時点で、暗殺者との接触は回避不可能だ。
 聡い彼のこと。薄々は彼女の素性にも感づいているかもしれないなと推測して、それでも彼女を傍に置いてくれている事にこっそりと感謝した。
 いつだって、いつの間にか彼に助けられている。目に見える所でも、見えない所でも。
 そして。


 気付いた時にはもう、彼は先を歩いている。


 数日前までは枯れ果てる一途を辿っていたのが嘘の様に生き生きと満開に花開くハルルの樹を見上げ、そこにフレンは彼を見通した。

 彼らの手で――彼の手で再び甦ったハルルの樹が微笑う様が、自身の心を刺激する。

 自分の手では、死にかけていたこの樹を救う事は叶わなかった。
 けれど、彼らはそれを成し遂げた。
 自分では原因を突き止められず。協力を仰ぐために優秀な魔導士の集うアスピオへ赴き。結果、面倒な手続きを経ている間に、彼はあっという間に救い上げてしまった。
 組織に足を絡め取られ、もたついてしまう自分。心のままに行動したくても、何かしら壁が立ち塞がって思う様に動けず、楔を打ち込まれてしまっている。
 もし、彼の活躍がなければ、自分が足止めを食らっている間に再度魔物が襲来して、ハルルは全滅していたかもしれない。――死なせて、しまったかもしれない。
 それは、仮定だ。実際には、彼がハルルの樹を再生させ、結界魔導器も修復された。魔物の襲撃の危険性も段違いに低くなった。
 分かっている。「もしも」と仮説を並べ立てる事ほど無意味なものはない。
 けれど。

 どんな時でも。彼は、彼らしく在り続ける。それを改めて突き付けられた。

 困っている人を見かければ、何だかんだで手を差し延べ、さらりとスマートに助けてしまう。
 そこに。自分は一歩、届かない。
 今だって。彼と同じ理念の下に騎士団に入団し。妨害が降り注ぐ中、それでも何とか自身の位置を確立して。自分は、着実に確実に一歩ずつ近付いている。そのはずなのに。
 いつだって、一歩届かない。こんな風に、煩雑な手順を踏まなければならない自分は、時も場面も問わずに臨機応変に動き回れる彼との差が大きい。

 思ったことには一直線。
 厄介事に突っ込むことを、口では文句を連ねながらも厭わない。
 自分に正直に、自分の信じるままに、すぐに行動に移してしまう彼。それで自身が犯罪者に堕ちてしまったとしても。
 それは。

 自分には出来ない、彼にしか描けない羽ばたきの音。

 彼は、いつだってそうだった。
 同じ場所を目指しながらも、彼は一歩前を行く。軸を見つけてしまう。受け入れてしまう。成し遂げてしまう。
 あの日。月の綺麗な夜。満天の星空の下。
 いつもと同じ情景でありながら、確実に異にする状況下。
 あの時だって、自分では気付けなかった別の道が、彼には既に見えていた。自分の遥か先を見据えていた。


 見据えながら、真っ直ぐに袂を分った。


 当たり前を当たり前として享受していた自分。のうのうと盲目になっていた自分。
 それを断ち切ったのは、他ならぬ「当たり前」であった彼だった。視野の狭い自分に活を入れ、目を覚まさせてくれたのは、傍に在り続けてくれた彼だった。
 だから。あの日、自分は自分の手で道を分断する賽を投げた。彼が騎士団から去っていくだろう予感を抱きながら知らないフリをして、敢えて「いつまで一緒にいられるのかな」と彼に踏ん切りを付ける機会を作った。
 そして、彼は自分の餞別を受け取って。翌朝には姿を消した。自分に、手紙とも形容しがたい残り香を置き去りにして。
 彼は、先に違う選択を発見し、選び取った。それを、自分は見送った。背中をいつまでも見つめながら。
 自分が選んだ道を、後悔はしていない。騎士団に残り、内側から帝国を変える誓いは、今もこの胸にある。どんなに過酷な、理不尽な場面に遭遇しても、乗り越えて上を目指す気概だけは何者も、何物も握り潰せはしない。
 そして。それを豪語出来るのは、奮起叶うのは、間違いなく彼がいてくれるからだ。

 ―――君の声が、遠くに聞こえる。

 さらりと、耳元で花びらと共に舞う風の囁きが、君の声に変化する。笑いながら胸を叩いて、熱を灯す。
 彼が、「自分は自分のやり方で帝国を変える」と宣言した時。自分は、衝撃を受けながらも奥底から炎が燃え上がるのを感じ取った。
 彼と顔を合わせる度に。「大丈夫だ」と。「心配するな」と肩を叩いてあげられる「何か」が欲しくて堪らなかった。
 下町で燻っている彼に、「だから、安心して自分の道を見つけてくれ」と。「離れていても大丈夫だから」と、後押し出来るだけの絶対的な安心感を与えたかった。
 彼の様に、揺ぎ無く自分の在り方を保ち、選んだ道を真っ直ぐに歩いていきたかった。
 あの日。道を分かつ前夜。
“いつまでも一緒にはいられないだろ”

 別々の道を受け入れ、その上で自分らしく在ろうとした彼に。胸を張れるだけの自分でありたかった。

 物心付く前から隣にいた。共に育ち、同じ理想を掲げて今尚一緒に目指している。
 何をするにも一緒で。何処へ行くにも彼が隣にいて。いつだって、彼が笑いながら傍にいて。
 隣に並びながら。気付けばいつも、彼は自分の先を見据えていた。前を歩いていた。何処までも、自分らしく。
 それが羨ましくもあり、眩しくもあり、闘争心を掻き立てるものでもあり。
 ―――誇らしくも、あった。
 隣に並びながら、自分は彼の背中を追いかけて。追いかけながらも隣にいて。
 それが当たり前で。当たり前すぎて。


 道を別にしてしまったはずなのに。ふと隣に視線を滑らせれば、彼がいる錯覚に陥る。


 光が影の、影が光の果てまで付いて行く様に。自分達も、何処までも共に在るのだろうか。
 例え、隣に佇んでいたはずの気配が、幻の様に笑いながら掻き消えたとしても。
「・・・・・・君、いつまでここにいるつもりだい?」
 君がハルルにいたのは、数日前の事なんだろ?
 我知らず悪態を吐いて、届かぬはずの意味なき言葉に失笑する。
 一歩ずつ前進しているはずなのに。それでも、遥か遠くに見える君の背中。
 もう二度と同じ道を歩く事は無い。いつかまた共にと儚い仮初の未来を抱きながら、分かってしまっている。到達点は一緒でも、道が重なる事は無い。それはもう、真理だ。
 けれど。


 どうして、君の存在を身近に感じるのか。


「・・・・・・本当、敵わないな」
 苦笑しながら、お世辞にも似ているとは言えない似顔絵が描かれている手配書の裏に、一筆認める。
 これが意地だと、彼には知れてしまうだろうか?それとも、気付かないでいてくれるだろうか。
 どちらでも良い。でも、欲を言うなら、何も言わずに悟って欲しい。
 いつか、君に「君だけの道を歩いてくれ」と後押ししてみせるから。「大丈夫だ」と気張らずに肩を叩いてみせるから。
 だから。それまでは、意地を張らせて欲しい。自分が、本当の意味で納得出来るまで。


 隣にいないはずの、彼の気配を感じ取りながら。
 ハルル名物の満開の樹の下。遥か遠くを歩む背中を神楽に見つめ、フレンは舞い散る華やかな吹雪の中を歩き出した。





フレンは頭では理解しているけど、感情が微妙に追いついていない感じで。
ユーリは頭で理解し、感情も付いていっているけど、それでも引っかかる感じ。
フレンは騎士団の中でかなり孤独な戦いを強いられているだろうから大変そうだなと。それをユーリも分かっているから、フレンは「大丈夫だ」と真の意味で言ってあげたいという想い。

【2008/11/27】

Return