あの日背を向けてから、初めて。 満天の星空を仰ぎ、君を想う。 星空の下、君と 【from Y】 星空と言えば、真っ先に彼が思い浮かぶ。それはもう反射の様なものだった。 彼は、いつも満天の星空を見上げていた。 柔らかな金の髪を夜空に溶け込ませ、静かな微笑を湛えて星の海を仰ぐ姿は、それだけで幻想的な一枚絵を描き出していて。俗世間から切り離された、神でさえも侵し難い神聖なる領域。 初めてその横顔を目にした時、あまりに清らかな空気に息を呑んで。自分は時間も忘れて見つめてしまった。言葉という無神経な音を介入させることが、憚られた。 朝の空気よりも澄み渡る、清冽でいて心洗われる風光を壊したくない。沸き起こる、畏敬にも似た情動。 その後すぐに彼が気付いて声をかけてきたが、すぐには反応出来なくて。熱に浮かされた様に、儚くも透き通る世界から抜け出せなかった。 飽きることなく星を見上げ続ける彼に倣って、自分も隣で見上げ続けて。 何を、彼が見ているのか。それを知りたくなったのが、始まり。 いつしか、星空は。切れない繋がりとして、自分達の間に息吹いていた。 暗殺者に命を狙われ。遥々帝都から追いかけてきたデコボココンビ隊を囮にしてハルルを脱出し、ユーリ達はエフミドの丘に向かっていたのだが。すっかり夜も更けてしまった道中を進むのは危険だと判断して、野宿が決定した。 旅慣れていないエステルとリタは早々に寝かせ、カロルにもゆっくり身体を休めろと促し、ユーリが見張りを請け負う事となった。途中でラピードと交代する事を取り決めて、今はそのラピードも焚き火の横で尻尾を丸めて眠りに就いている。 最前まで散々騒がしかった空気が、反動で一気に静まり返って。家に灯されていた明かりが突然消されてしまった様な、奇妙な違和感に襲われた。そんな風に物思いに耽る自分が更に違和感に拍車をかけて、ユーリは片膝に腕を乗せて深く息を吐き出す。調子を整えるために。 誰かとこんなに長く、しかも一日中一緒にいるのはどれくらいぶりかと。調子を整えた傍から何の気なしに考えかけ――緩く首を振って思考を散らせた。振り払わねばと本能が警鐘を鳴らした。 辿って、完全に行き着いてしまったら最後、自分は感傷に浸る。ただでさえ手紙を受理したばかりなのだ。強く締めて戒めていた紐が解けやすくなっているのは、致し方ない。 過去に引っ張られそうになる自分を断ち切って、ユーリは手近にあった枝を萎んでいく焚き火の中にくべた。途端、炎はぱっと勢いを取り戻して燃え盛る。 ぱちぱちと、弾ける火の粉が紺色の夜気に舞う様が酷く幻想的だった。自由に夜の気配に舞う光景が、夜空に瞬く星の囁きを連想させる。 夜空。輝き。星。 満天、の。 世界が、鮮やかに描かれる。何よりも至高の芸術になる。もう一つ要素が加われば、程なく完成を見せるだろう。 満天の星空の下。 何気なく眺めた先には―――。 ―――ああ、駄目だ。 揺らめく炎の先に星空を見通してしまって、ユーリは微苦笑を零した。求める心と反発する心を錯綜させながら、誘われる様にすっかり陽が沈んでしまった空を仰ぐ。 頭上には、予想したままの正しく煌びやかな満天の星空が展開されていて。あまりに思い描いていた通りの景色が切り広がっていて、ユーリは再度苦笑を漏らした。そのままごろんと、後頭部で手を組んで寝転がる。 すると、自分の世界は夜空に散らばるイルミネーションで全てになった。上体を起こしたまま見上げた時よりもずっと空が近くなった気がして、僅かに眉尻を下げる。どうしてここまで的確に、自分の急所を突いて来るのが上手いのか。 ―――あいつはいつも、星空を見上げていたな。 過去に遡って、ユーリは脳裏に過ぎらせる。親友の、穏やかな横顔を。 それが、引き金だった。意図的に堰き止めていた情景が洪水の様に押し寄せてきて、あっという間にユーリを飲み込んだ。鮮明に描かれた言葉が、景色が、流れる様に次々と閃いては消えていく。空でちらちらと明滅する、星の瞬きの様に。 星空は、自分と彼を繋ぐ絆の一つだった。幼き頃の象徴と断じても良い。 物心付いた時から、傍らにはいつでも彼がいて。家族として、親友として、魂の片割れとして、過ごしてきた。 息をするのと同じ位当たり前の存在だった彼は、星を観賞するのが趣味だった。 何が面白いのか、毎晩ひたすら見上げ続ける彼に「何でいつも星見てんだ?」と問うてみたが、答えはついぞ返っては来ず。 ただ、にっこりと静かに微笑むだけ。空で瞬く星々の如く。小さく、けれど、どの星よりも清冽で高貴なる輝きを放って、微笑むだけだった。 不思議な響きを乗せて微笑う彼は、一体何をその瞳に映しているのか。 不意に、興味が沸いて。彼が見ているものに近付いてみたくて。 だから、自分も隣で一緒に見上げる様になった。約束をしたわけでもなかったのに、言葉無く集って。どちらからともなく、相手と肩を寄せるのが習慣になっていた。 最初は彼の惹かれる世界を覗いてみたいと願っただけなのに、いつの間にか星が織り成す悠久なる世界に魅せられていたのは、彼には内緒にしていた。もうとっくの昔に気付かれていると重々承知はしていたが、それでも意地があったから告げてはやらなかった。 それさえも見抜かれていたはずだから、悔しさも倍増だ。何処までも彼には敵わない。 星空を見上げて。涼やかに微笑う星の共演を観賞して、自分はいつも優しい洗礼を受けていた。 ―――満天の星空は、フレンみたいだと思った。 夜という現象は、星も月も無ければ、恐怖を呼び覚ます暗闇と化すだけ。 そんな、身も心も凍えそうな震撼を、安息に塗り替える光源。真っ黒く覆い尽して、乏しい道も逃げ惑う明日も食らい尽くす闇に、鮮やかに色付ける事の出来る唯一の灯火。 それが、彼だと。極自然に結び付けてしまった事には何ら疑念は湧かなかった。一緒にいたなら、誰もが共感する。確信ではなく、事実だ。 彼は、そこにいるだけで人々を優しく照らし出す。自分には絶対に真似出来ない芸当だと密かに感嘆していた。――絶対に、言ってはやらないけど。 見上げながら、ユーリはぼんやりとセピア色の景色を逆行していく。 満天の星空を、こうして見つめるのはいつ以来か。記憶が、定かではない。 ずっとずっと、遥か彼方、地平線よりも更に遠い時期から。随分と、意識して見ない様にしていた気がする。時にすれば数年。けれど、感覚としては何十年も。 見上げてしまえば。認めてしまえば。空を見上げて静かに微笑を湛える彼が、一緒に見えてしまう気がした。今にも、幻が本物を装って目の前に現れそうな予感がした。 そうすれば。振り返ってしまうかもしれなかった。断ち切ったはずの、道の分岐を。 “いつまでも一緒にはいられないだろ” あの日。彼の好意に、優しさに甘えて。決定的な断絶を残して、背を向けた。 背を向けた決断を後悔はしていない。あそこは、騎士団は自分の道ではない。でも、彼の道はあの腐敗と悲嘆が巣食う組織にこそ住み着いている。最後の、砦として。 彼の道と自分の道は、あの時初めて分裂した。割かれた。引き裂かれた。 悔いは無い。未練も絶っている。それは、本当だ。嘘も虚言も割り込む余地は無い。 ただ。 “―――そうだな” 心残りがあるとすれば―――。 「・・・・・・止めるか」 考え始めればキリが無い。泥沼に足を取られて、抜け出せなくなる。 それは、自分はもちろん、彼も望まぬ許されぬ所業。 断ち切る様に見上げた先には、追い討ちをかける様に今にも降ってきそうな満天の星。 星空が、微笑う。穏やかに瞬く。綺麗に詠う。玲瓏に囀る。 静かに明滅する様が、人の声よりも遥かに朗々と綴られる歌声に聞こえて。自分の痛い箇所を容赦なく照らし出して。 照らしたそばから、優しく受け止めてくれている気がして。堪らなく、息苦しくなった。 「・・・・・・お前は今でも見てんのか、フレン」 知らず、呟いて。封印していたはずの箱から溢れ出してきた問いかけに、本日三度目の苦笑を漏らし。 苦笑と共に、ユーリは胸を焦がす震えを捨て去って、星空を閉め出した。 あいつと道を違えて久しく。 ここまで満天の星空が恋しいと渇望する事になるなんて。あの頃の自分は、夢にも思い描いていなかった。 歌詞を聴いた時から、無性に書きたくて仕方が無かったもの。 今更ですが、フレンとユーリの話は微妙に連作っぽくなりそうです。 【2008/12/11】 |
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