あの日、去り行く背を見送ってから。 君と見た満天の星空が、恋しい。 星空の下、君と 【from F】 星空と言えば、彼を思い出さずにはいられない。それはもう、反射の様なものだった。 星空を見上げるのが好きだった。 あれだけ活気に満ちていた世界が、生ある全てを凪いで静けさを広げ、眠りに満ちていく様が何処か神聖なものに映ったのだ。 何故と問われれば、言葉に詰まるだろう。現に、「何でいつも星見てんだ?」と彼に尋ねられて、答えに窮した。窮したから、その時は笑ってごまかして、無言で空を仰ぐのを解答とした。 明確には見えては来なかったけれど。紺色の大海を潤して煌く水滴が、綺麗で。心まで潤してくれるようで。 雨は好きではなかったけれど。星が織り成す白銀の雨は好きだった。 飽く事無く見上げる自分に、彼は初めは不思議そうに遠巻きにしていたのに。いつの間にか、二人肩を並べて空を見上げるのが日課になっていた。 満天の星空は、自分達の約束の地。 誰にも、例え自分達にも切れはしない絆の証だった。 ハルルの結界魔導器が修復されているのを確認し、長に親友への手紙を託してから、フレンは街を後にした。 騎士の巡礼を名目に、何者かの手によって拉致されてしまった次期皇帝候補を救い出す任務を受けて数週間。カプワ・ノールに派遣されているという執政官のラゴウが怪しいと突き止めたため、一路そちらを目指していたのだが。すっかり陽が沈んでしまったため、エフミドの丘の手前で野営を行う事にした。 張ったテントから少し距離を取った場所で、フレンは一人火を起こし、時折落ちていた枝をくべながら座り込んでいた。春とはいえ、まだこの時期は夜間は冷え込む。暖を取るのは当然の事だった。 これは、騎士として全うすべき周囲を警戒しての見張り――でも何でもない。傍からすれば何ら意味を有しない行為だ。現実、見張りを率先して行おうとしたらソディアに即効で却下された。だから、これは個人的な休息だ。 ソディアに見つかったら「早く休んで下さい」と叱られるだろうなと失笑しながらも、それでもフレンは一人になりたかった。誰の目も無い場所で、邪魔の入らない地で、見上げたかった。 ゆったりと頭上を泳ぐ、星空の下に行きたかった。 ぱちぱちと、小気味好い暖かい音楽を耳にしながら、フレンはゆっくりと視線を上にずらしていく。そのまま重力に逆らわずに横になると、世界は星々のささやかで厳かな神楽だけで満たされた。小さいながらも、決して闇に呑まれずに自ら輝き、闇さえも光の一部として包み込んでしまう気高さに、心を奪われる。 満天の星空を見上げるのが、好きだった。 昼間の、万物が生命を豪奢に燃やして賑やかに謳歌していたのが嘘の様に、辺りは一斉に静まり返って眠りに就き。その冴え渡る静寂をひっそりと抱擁し、優しく見守る様は、誰にも穢されはしない神聖なる夜の護り手の象徴に思えて。凛と鳴り響く歌声を分け隔てなく平等に降らせる星に、心が洗われた。 静寂に包まれる大地を照らし出す、控え目でいて清楚な満天の星空が、好きだった。 ―――彼と、星空を見上げる時間が好きだった。 星空は、自分達を繋ぐ絆の一つ。暗黙の誓約と言っても過言ではない。 家族として、親友として、魂の片割れとして、長い長い時を過ごしてきた。人生の大半を共有している彼と、星空を見上げるのがいつしか習慣として根付いていた。 契機は、いつだったか。もう本当に彼方まで遡らなければならないから、正確な時期は思い出せない。 あの日も、綺麗な星空が風も大地も木も花も全てを優しく抱きながら微笑っていた。 寝る前に窓から空を見上げていたら、彼は不思議そうな顔で自分を扉の影から眺めていた。あまりに間が抜けた、呆けた顔をしていたから、少しだけ笑いを堪える努力を要したのを覚えている。 「何見てんだ?」と聞かれたから、素直に簡潔に「星」と答えたら、その日は「ふーん」と気の無い返事と共にベッドに潜り込まれてしまった。少々落胆し、寂しさを覚えてしまったのは内緒だ。――どうせ、気付かれていたのだろうけれど。 また数日経った頃、今度は「何でいつも星見てんだ?」と尋ねられて。どう説明したものかと言葉に詰まったのは、昨日の事の様に鮮明に思い出せる。理由はあったけれど、何故そう感じ入るのかは把握していなかったし、上手く伝えられる自信も皆無だった。 だから、微笑うだけで誤魔化して。言葉もなくまた幽遠なる世界を望んでいたら、不意に傍らに並ぶ気配を感じた。 ふっと横に視線を滑らせると、彼も一緒に空を仰いでいて。遠く、遥か遠くを見据える様な眼差しに、唐突に一つの結論が閃いた。 ―――満天の星空は、ユーリみたいだと思った。 初めて彼と出会ったあの日。自分は、彼を夜みたいだと抱懐した。 目が覚める程に鮮やかに澄み渡る夜。夜の象徴。 夜空を彩り、多数の星の大海の中でも一際強く、高潔に閃く一番星。道に迷い、途方に暮れて惑う者達の道標となり、引っ張り上げてくれる夜の護り手。 “かぜ、ひくぞ” 彼は、自分の中に眠る「星」だった。 冷酷に心ごと射抜いてくる豪雨に閉ざされた自分を探し出し、導いてくれた。真っ暗で上も下も右も左も掴めない中、輝いて方向を示してくれた。 満天の星空を見上げる彼を前にして、真っ先に彼と星空を結び付けた。疑念なんて湧きはしなかった。何故なら、それは呼吸をするよりも自然なことで、確認するまでもない真実だったから。 静けさを湛えながらたゆたう闇に、一滴の光を散りばめながら歩く星。 彼は歩くだけで、動けずに座り込む人々を掬い上げ、明るい笑みを伝染させていく。それは、自分には決して真似出来ない芸当だ。――そんな事、本人には死んでも口を割れないけれど。 小さいだけだった自分は、いつしか成人して、騎士になり。 その間。ずっと満天の星空を見上げ続けてきた。 ただ。昔と違うのは、彼が隣にいない。それだけ。本当に、それだけだ。 “いつまでも一緒には” なのに。 「・・・・・・違和感が、拭えないんだ」 隣にあるはずの温もりが、存在しない。気配だけは、いつだって傍に並んでくれていて、離れはしないのに。 辛い時は肩を抱いて。悲しい時は手を繋いで。楽しい時は騒いで。嬉しい時は顔を見合わせて。 幸せな時は、共に寝転がって。指を差しながら満天の星空を見上げて、笑顔を咲かせた。 辛い時も悲しい時も楽しい時も嬉しい時も。 幸せな時も、一緒に全てを分かち合って。互いに支え合いながら歩いてきた。 でも。 ―――今、君はここにはいない。 彼が、自分達の道を真っ二つに切り裂くよりも前。自分は、彼が離れていくかもしれないと察知していた。分かっていた。 分かっていながら、引き止めなかった。送り出した。 “―――そうだな” 「いつまでも一緒にはいられない」と肯定して。彼の背を押して、受け入れた。 後悔はしていない。悔やみたくなどない。彼は、この腐敗し、性根の濁り切った騎士団には似つかわしくない。規則に縛られ、上から押さえ付けられながら耐え忍んでいる姿は、考えられない。 だから、止めなかった。彼には自由に羽ばたいて、同じ理念に向かって欲しかった。 未練は無い。後悔など以ての外だ。過去ばかり振り返るなんて、自分はもちろん、彼も望みはしない許されぬ愚行。 けれど。 “何見てんだ?” ―――けれど。 静かに、星空が微笑う。穏やかに瞬く。綺麗に詠う。玲瓏に囀る。 冴え渡る星々の歌声が、清冽に降り注ぐ。眠る生命の息吹を織り交ぜながら純粋に歌い上げ、凍える自分の弱さを掬い上げる。 痛烈に照らし出しながらも、優しく受け入れてくれた気がして。胸が締め付けられて、悲鳴を上げた。 「・・・・・・ユーリ。君は、見ていないかな」 君と見上げた星空が恋しいよ。 騎士団の中では、部下達の前では、決して零せない本音が転がり出て来て。フレンは苦笑しながら瞼を閉じて、ほろ苦い禁断の懐旧を星空と一緒に胸に仕舞い込んだ。 彼と道を違えて久しく。 こんなにも満天の星空が恋しいと願う事になるなんて。あの頃の自分は、夢にも見てはいなかった。 フレンもユーリも同じことを想っていて、フレンは独り耐え忍びながら星空を見上げ、ユーリは自分から手を切ったからこそ星空を閉め出す。 選択に悔いも未練も無いけれど、二人共互いが心残り。 【2008/12/13】 |
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