絵に描いたような眩い光景。
 姫と騎士の傍にいるのは、果たして。



姫と騎士と



 父の顔は知らない。母も幼い頃に死に別れ、顔も朧げにしか思い出せない。
 母はアスピオでも名の知れた魔導士で。いつもアスピオ中を駆け回りながら、魔導科学者全員が追い求める公式を紐解く研究に打ち込んでいた。
 家中が魔導器に関する書物で埋もれ、魔導器が常に傍らにあったため、自分にとって魔導器は兄妹の様な存在だった。物心付いた時には既に難解な図式が羅列された本を読み漁っていたし、魔導器の仕組みにも興味を持っていたから、共に育ったという感覚も人一倍強い。
 そんな魔導器だらけの人生の中。たった一つだけ、母親が魔導器を抜きにした温もりを与えてくれた事がある。

 それは、一つの童話だった。

 普通、年端も行かない子供に読み聞かせるなら絵本だろうと指摘してやりたくなるが、その頃には自分は大人が目を通す様な資料を読み込んでいたから、そもそもその発想に辿り着かなかったのだろう。当時の自分も極自然に受け入れていたから、助言してくれる人もいなかった。
 童話の内容は至ってシンプル。姫と騎士の恋愛物語だった。

 姫は国一番の美人で気立ても良く、誰からも好かれる程の心の優しい持ち主で。一方の騎士も品行方正で誠実で、市民からも期待と人望を一身に受ける国自慢の騎士団長だった。
 二人は幼馴染でまるで兄妹の様に育ってきたけれど、成長するにつれ、お互いに家族愛を超えた感情を抱き。想いを告げ合い、二人はつかの間の幸せに浸る。
 だが、身分違いに苦悩し、周囲の妨害などによって騎士が危険に晒され、一度は姫の方が身を引こうとする。
 けれど、姫に国外から魔の手が迫った時、逸早く駆け付けたのは他の誰でも無い愛する騎士だった。誰もが敵の脅威に怯える中、危険を顧みずに飛び込み、騎士は姫を見事救出して見せた。
 その功績が讃えられ、また二人を慕う国中の後押しを受けて二人は晴れて結ばれ、末永く幸せに暮らす所で話は幕を閉じる。

 何処にでもありそうな、有り触れたハッピーエンド物語。
 こんなに世の中上手く運ぶわけがないと、年齢の割に達観していた自分はこの話を斜に構えて分析したけれど。
 一方で、大切な人と想いを通わせる事。傍にいてくれる存在。そんな二人が羨ましくもあり、寂しくもあった。その後、すぐに母が亡くなってしまったから、余計に気持ちが昂ぶってしまったのかもしれない。
 魔導器とは何ら関係の無い、童話。不要の長物。
 でも、成長して、十を超えた後もどうしても捨てる事は出来なくて。部屋を整頓する回数が多くなかったのも要因だったが。それは、魔導器を抜きにして、たった一つ母と繋がれる深い場所で息衝いている思い出だったから。
 童話を読んでいると、まるで母の腕に包まれているようだった。自分を抱き込む様にして、たどたどしく音読してくれたあの日の情景が甦るみたいで。魔導器以外にたった一つ自分を裏切らない、手垢で擦り切れた品だった。
 魔導器は信用出来る。この童話も、自分からは離れていかない絆。
 同時に、童話を目にするたび、母が「いつか貴方もこのお姫様の様に、たった一人の騎士に出会えれば良いわね」と。柄にもなく耳元で囁いてくれた笑顔が、過去の残像として視界にちらつく。
 そんな都合の良い話があるわけがない。だって、人はいつ自分の手を離すか知れたものではない。人と人は信頼と裏切りの連続だ。それこそが歴史だ。この話の中にある様に、ただ一人だけを想い続けるという保障も想われ続けるという確証も皆無だ。
 だから、自分はこれからも研究にだけ打ち込んでいれば良い。人に興味など持たなくても、生きていける。
 でも。

「お母さんがお父さんと出会って、貴方を残してくれた様に。きっと、貴方にも見つかるわ」

 姫になりたいわけではない。まして、父母は別に姫とか騎士とか特別な役職に就いていたわけでもなく、極普通の研究員だった。
 でも。
 もし、本当に。この騎士みたいな人が。絵空事にしか登場しないはずの、誠実な騎士が目の前に現れたのなら。
 少しは、信じてみても良いかもしれない。少し、少しだけ、だけど。
 母が父の話をする時に、ほんのりと表情が和らぐから。幼心にちっぽけな夢想をした。
 けれど、微かな祈りにも似た夢物語は、そうそうに降って湧いた様に出現するはずもなく。幼き頃に抱きしめた愚かな幻は、今の今まで、忘却の彼方どころか、頭の片隅にさえ塵ほどにも残留してはいなかった。
 そう、今の今まで。

 エステリーゼの手を引いて、晴れやかな笑顔で宿に駆け込んでいったあの騎士を、目にするまでは。





 カプワ・ノールの入り口で。リタ達は雨の中で棒立ちになる羽目に陥った。
 何故こんな事にと、彼女達は――正確にはリタは眼前で仲睦まじく談話に興じる天然少女と騎士の姿に悶々と頭を悩ませ、盛大に溜息を吐く。

 時はほんの少し前に遡る。
 街で悪政を敷くラゴウの屋敷へ乗り込むために、リブガロの角を献上品として納めようという事で話に決着がつき。そのリブガロをとっ捕まえに行こうとユーリ達が足を向けた所で、奔走しているユーリの親友である騎士と顔を合わせた。その際、ウィチルとかいう魔導士が敵意剥きだしにリタを睨んで来たが、それは涼しい顔で無視をした。
 そして。ユーリと一言二言交わした後、騎士は今度は二人を見守っていたエステルと話を始め、現在に至る事になったのだ。
 エステルと騎士が仲良く話し込むのを、リタは遠巻きにユーリ達と一緒に眺めていた。勢いは無いが、鬱陶しいほどに天から降り注ぐ大粒の涙にいつまでも濡れている趣味はリタには無い。だから、早く話を切り上げろと念じる反面、吸い寄せられる様に二人に目が釘付けになるのも止められなかった。

 あの騎士は確かフレンと言ったか。アスピオで馬鹿丁寧に自分に交渉を持ちかけ、最後まで対等な存在として接してきた、ユーリの親友。

 正直、エステルとフレンはお似合いだった。構図としても、申し分が無さ過ぎるほどに違和感が無い。
 鮮やかな桜を連想させるエステルと、太陽の様に煌く金色の髪と空色の瞳を持つフレンは、並ぶだけで一気に画面が華やかになる。周囲は雨雲に覆われて薄暗く、街も執政官のせいで重厚な威圧感に呑まれているのに、二人の空間だけがまるで切り取られたかの様に別世界を創り上げていた。のんびりと時間の流れも緩ませ、そこだけが雲間から差し込む光の様に映え渡っている。思わず、こちらの心まで緩みそうだ。
 楽しそうに目を細めるフレンと、手を合わせて幸せそうに微笑むエステルは、どの角度から観察しても、どこを切り出しても相思相愛にしか見えない。果て無き世界の楽園があるのなら、きっとあの二人が足を踏み入れた所なのだろうと、馬鹿げた想像までしてしまう。
 つまりは、彼らが二人でさえいれば、どんな僻地でも辺境でも地獄でもたちまち幸福の箱庭と化してしまうのだろう。それだけの破壊力があった。恐らく、死神でさえも太刀打ち出来ないに違いない。
 そう。――物語に綴られる、姫と騎士の様に。
 言葉が弾けた瞬間。リタの中で、小さな小さな声がざわついた。静けさだけで包まれていた泉の水面が、不意に波立つ。

「・・・・・・しーあわせそうな顔しちゃって」
「まあ、エステルとしても念願の再会だったみたいだからな。話が弾むのも無理ねえだろ」

 意図せずに吐き出された自身の憮然とした低い声音にリタが驚く間もなく、ユーリが肩を竦めて応答してくれた。
 本当に含みも何も混じらせずに解説してくれる冷静沈着の皮肉屋に、リタは「ぼさっとしてるから取られたんじゃないの」と返してやりたかったが、寸でで取り止めた。口にしたら、それ以上の威力の応酬がさらりと痛烈に返品されるかもしれない。そんな予感が、本能の部分で掠めたからだ。――理由は、今のリタには想到も付かなかったが。
 こんな無意味なやり取りをしている間も、幸せオーラ全開の二人の話は続く。距離があるので会話の内容までは聞こえて来ないが、きっと外面と同様にお目出度い話題であるに違いない。彼らなら「ご飯は一日何杯食べるか」というお題でも、実に感激しながら長々とお喋りを成立させてしまうだろう。絶対そうだ。
 あまりに退屈だったため、リタは腕を組みながらその話題でエステルを自分に置き換えて想像してみた。もしフレンに「ご飯は一日何杯食べるか」と問われたなら、自分は何と返すか。
 結果。

 「知らない」。たった一言で、終わる。

 目の前で繰り広げられているほのぼのとした空気など、欠片も生成されないだろう。その後は沈黙のオンパレードだ。
 これで、よく自分は昔「姫と騎士」の童話に興味を持ったものだ。
 憧れとは程遠い。憧憬を抱いていたとしても自分は認めないし、少なくとも現在ではそういった類の感情は絶無に等しい。
 そこまで考えて――リタは、首を振って止め処なく浮かんでくる思考を振り払った。意味不明な苛立ちが募る気がして、検出された不可解な靄に頭を捻る。

 それもこれも、全部あの騎士のせいよ。

 清清しい責任転嫁をして、リタは盛大にフレンの方角を睨む様に凝視した。睨んでいるつもりは無かったが、ユーリがやれやれといった表情を押し出してきたので、きっと目つきは剣呑になっていたのだろうと判断する。
 心を掻き乱す元凶。あのフレンは、まるで童話に出てくる騎士にそっくりなのだ。
 太陽の様に辺りを明るく照らし出す金の髪に、蒼穹を写し取った瞳。物腰は誠実で紳士的。甘い笑顔に優しい気配りもこなしてしまう。
 頭が固めとはいえ、そんな人物が、やんごとなき身分であろうエステルという姫と隣り合えば、嫌でも童話を思い出してしまうというものだ。片隅にさえ残されていなかったはずの記憶の糸が、急激に底の底から引っ張り出されてしまった。
 いつか思い描いた、童話の中の姫と騎士。様々な障害を乗り越え、結ばれて幸せになった、絵に描いたような構図。
 あの童話は、母との繋がりの一つだった。腕に抱かれている様な気持ちになって、自然と温もりが全身に伝わって、少しだけ――本当に少しだけだけど、何かが心の中に落ち着いて安心させてくれた。
 そして。
“お母さんがお父さんと出会って―――
 もし、物語にしか存在しないはずのあの騎士が、目の前に現れたなら。
 その時は。
“相思相愛にしか”
――――――――――――


 ―――自分は、どうしようと思ったんだっけ。


 そこだけ急速に霧が濃くなって鮮明にならない。
 自分は、あの時、何を思ったのか。どうして目の前に現れたらなどという考えに及んだのか。
 分からない。何も。思い出せない。手繰り寄せられた思い出なのに、肝心な部分は空白だ。一瞬だけ水面上に顔を見せた気がしたのに、また底辺に沈没してしまった。
 まあ、塗り潰されてしまったという事は無用だと片付けられてしまったからなのだろう。ならば、無理矢理色を着ける必要も見当たらない。
 ―――ただ。
「姫と騎士、ね」
 ぽつりと呟いて。リタは腕を組み直して、駆け寄ってくるエステルを迎えた。遠くでは、見送りのためか穏やかな微笑を湛えてフレンがこちらを眺めている。愛しげに送り出す眼差しは、ひどく柔らかい。
 姫と騎士の童話。包まれる母の温もり。父の話をする時の母の少女に返った様なはにかみ。
 だから、姫と騎士という言葉も絵図も、暖かい木漏れ日の様な雰囲気しか併せ持たないものだと勝手に盲信していた。
 けれど。

 確かに、この二人が生み出す空気は暖かかったけれど。同時に、触れれば暗くて冷たいと。そう抱懐してしまった。

 エステルは、フレンフレンと何かある度に名を口にしていた。
 カプワ・ノールでフレンと再会した時、彼はしっかりと彼女の手を握っていた。
 きっと、この二人は恋人なのだろう。もしくは、その一歩手前の関係なのかもしれない。
 お似合いだと心底感心する。童話に描かれた姫と騎士が、この目で見れる日が来るなんて思いも寄らなかった。
 見てみたいと、願っていた。少なくとも、幼い自分は。そのはずだった。
 なのに。

「・・・・・・さ、行きましょ」
「ああ、そうだな。さっさとリブガロ見つけてこの雨ともおさらばしようぜ」

 わざと明るく促して、リタは踵を返す。フレンが視界から消えたことに安堵しながらも、何処か寂寥感が過ぎった事にまた苛立った。
 そう。もう自分の目的は達成された。いないと高を括っていた童話の主人公達が、現実世界にも存在するのだと証明された。それで、良い。
 だから。

 宿屋で。自分と目が合って、彼が嬉しそうに瞳を細めてくれたことも。
 何かを言いかけて、それをウィチルに邪魔されて口を噤んでしまって。彼が何を言おうとしてくれたのかも。
 自分には、何も関係ないこと。
 言い聞かせているみたいだと、自嘲して。気付いて、全てを怒りに変換して。
 打倒リブガロの目標を掲げながら、リタは背後から追ってくる視線を遮断した。


 姫と騎士。華やかで絵に描いたような幸せな光景。
 ならば、その傍にいる者は。さしずめ街人Rあたりだろう。





これは、フレエスではないです。と書かないと、何だか誤解されそうなお話。
リタは別に姫になりたいわけではなく、騎士に会いたかった。ただ、それだけ。

【2008/11/30】

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