器用に滑るその手に。
 自分は、見惚れた。



そして自分はその手を欲して



 洗濯物を取り込んでカノンノが食堂へ足を踏み入れると、ふわりと香ばしい匂いが鼻先を掠めた。次いでことことと煮込まれる音と、聞き慣れた穏やかな声という音色のハーモニーを耳にして、心が安らぐと共に喜びで踊る。静と動の相反する二つの性質を反発させずに同居させる自分の心は、とても素直だとカノンノは他人事の様に感心した。
 頭に巻かれた白いハチマキ。ひらりと、彼が動く度に優雅に、優しく舞う様は何処か彼の気質そのものを表出していると感懐を抱く。
「パニール、――レン!」
 彼の名を呼ぶ時は力をこめ、努めて平静を装いながら明るく声を張り上げると、楽しそうに談笑していた二人が揃って振り向いてきた。
 濃紺のエプロンを着用して、大根を持ったレンの姿は鍋やコンロを背景にして妙に様になっていて。普段はカッコ良いのにこの時は可愛く見えて、カノンノの頬が自然と綻ぶ。
「やあ、カノンノ。お疲れ」
「レンもお疲れ。パニール、洗濯物取り込んだよ」
「ありがとう。もうすぐ夕食出来ますからね。レンさんと一緒に今、仕上げに菊花大根を作っているのよ」
「え!? レン、あんな難しいの出来るの?」
「えーと、料理本の見よう見まねで。あと、パニールに教わりながら」
 さらりと簡単そうに言ってのけるレンに、カノンノは呆気に取られた。
 菊花大根は華やかで綺麗な造りであるため、刺身なんかの時によく添えられているが。非常に鮮やかで繊細な見た目の通りに、作る過程も細やかな技術が要求される。また、そのために用意する大根の桂剥きもなかなかに面倒だ。
 それなのに。

 するするっと白い大根に包丁の刃を滑らせていくレンの手。まるで、毛糸玉の糸を解く様に容易に、静かに素早く積み重ねられる真っ白な巻紙。
 想像よりも遥か斜め上を行く巧みな腕前に、カノンノはほうっと溜息を漏らした。
「レン、器用だね。前から思っていたけど、こんな事も出来ちゃうなんて」
「そうかな?でも、パニールにはまだまだ敵わないよ」
「そんなことありませんよ。レンさん、キッチンに立ってから日も浅いのに、こんな高度な技術まで身に付けてしまうんですもの。将来はお料理屋さんも開けちゃうかもしれませんね♪」
「あ、それ良いね。私、手伝っちゃうよ!」
「あはは、面白そうだなあ。一応将来の候補に上げとこうかな」
 世間話をぽんぽんと交わしている間にも、レンの手の速度は緩まない。あっという間に大根一本を剥き上げ、次の大根に取り掛かる。
 その過程を、カノンノは飽きることなく見つめる。レンの為す事はどれだけ時間がかかろうとも飽きが来ない。不思議な感覚だが、疑念は湧かない。相手がレンであるというだけで、カノンノには魔法がかかるのだ。一瞬一瞬が、大切で、愛しくて、輝かしいものになる。

 するすると、大根の白身の上を器用に滑っていくレンの手。男性としては白くて細いのに、剣や銃を扱うその手は自分よりも大きくて、しっかりしている。
 自分よりも大きいのに細かい作業も得意で、指先がピアノを弾くみたいに奏でられて、一つの創作を作り上げてしまう様は目を奪われてしまうくらい洗練された光景で。
 レンの、手が。自分は好きだ。


 ―――あの、手に。自分はよく頭を撫でてもらっている。


 海の声を両親のものだと信じていた――信じ込もうとしていた時期。希望を抱えながらも淋しく映ったのだろう。レンは、「見つかるといいね」と頭を撫でてくれた。
 他の人が相手なら「子ども扱いしないで」と反発したかもしれない。頬を膨らませて外方を向いたかもしれない。
 でも。レン相手には、そんな反抗心は欠片も抱かなかった。湧いてくる気配すら見取れなかった。
 レンは、子ども扱いをしているわけではない。馬鹿にしているわけでもない。
 ただ、自分を励ますために。自分がそうしたいから、撫でてくれている。

 レンの手の平は、とても暖かい。

 別に、他人よりも熱を帯びているとか特別な要素は混ざっていない。もしかしたら、平均か平均より冷たいくらいかもしれない。
 でも。それでも、レンの手は暖かかいのだ。彼の心をそのまま映し出したかの様に、優しい熱を包んでいる。凪を表現するみたいに温良で、小さな、けれど心強い光が灯るのだ。
 自分がニアタの所から帰還した時も、パニールとぶつかった時も、仲直りした時も、物語を綴ってみれば良いと背中を押してくれた時も。
 レンは、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。「出来るよ」、「大丈夫だよ」と、言葉以上の言葉を織り込んでくれた。
 それが、どれだけ頼もしかったか。勇気を授けてくれたか。
 恥ずかしくて、レンには言えないけど。

 レンの手が、好きだ。
 だから。

 ―――何となく、面白くない。

 今、レンの手は大根を一手に引き受けていて。大根は堂々と悠々と彼の手を独り占めしていて。しゅるしゅると籠に積み重なっていく大根の剥き身は、得意気に白く光っていて。
 羨ましいと、思ってしまう。
 馬鹿らしいと一蹴しながらも、自分の目は自然とレンの指を追いかける。見つめる。外せない。
 どうして、今レンの手は大根に独占されているのだろう。レンの目も、合わせて一点に集中していて、こっちなんて見向きもしない。意識も丸ごと大根へと吸い寄せられて。

 ・・・・・・ちょっと。大根に、嫉妬してしまう。

 少しずつ、本当に少しずつ気分が落ち込んでいって。たかが大根、されど大根。
 そこまでつらつらと考えて。
 ―――手、触れたいな。
 カノンノが、無意識にふらっと手を伸ばしかけた、時。


―――カノンノ?」


 焦がれる程に欲した声が響いて、カノンノは我に返った。今までの取りとめも無い思考が一遍に吹き飛んで慌てて顔を上げる。
 見上げると、そこには相も変わらず大根を手にしたまま、きょとんと目を瞬かせているレンの姿。心底不思議そうに心持ち斜めに首を傾げながら、カノンノを真っ直ぐに見つめていた。
「どうかしたのか?ずっと手を見つめて。俺の手、何か付いてる?」
「え!?う、ううん、そうじゃなくて」
 まさか、人間どころか、生き物でもなく、あろうことか大根に嫉妬していましたなんて正直に告白出来るわけもない。千切れんばかりに光よりも速く手を振りまくり、カノンノは「そうじゃない」の一点張りで否定しまくった。
 「そう?」と簡単に片付けるも、未だレンの瞳はカノンノの瞳を捉えていて。直向に、純粋に貫かれて、カノンノの心臓が激しく脈打つ。
 こんな挙動不審ばりばりな反応をしたら、いくら鈍感の名を欲しいままにするレンだって、気付いてしまうんじゃ―――
「・・・・・・あ、分かった」
 推理をして解答を導いたらしいレンの誇らしげな色に、カノンノはこれ以上ないくらい飛び上がった。平常心を取り繕おうと、精一杯笑みに全神経を傾倒して振り向いてみる。――その笑顔は、パニールからすると引き攣った茹蛸だったりするのだが、心優しい彼女は指摘はしなかった。

 どうしよう。カノンノは盛大に壮大に内心だけで暴走した。

 レンに、気付いて欲しい。でも気付いて欲しくない。
 大根に嫉妬していたとか、自分の気持ちを悟られた後気まずくなったらどうしようとか、変な心配事までぐるぐると付き纏って、カノンノを飲み込んでいく。それはもう面白いくらいにあっさりと。
「カノンノ、もしかして・・・・・・」
 そこで一回区切って。自信満々に口を開こうとする、レン。
 カノンノは、「もう駄目ー」と、観念して目を瞑り。


―――そんなに、お腹すいて死にそうだったんだ」
「――――――――――――、・・・・・・はい?」


 人差し指を立てて、満面の笑みで全く見当外れな方向へと転がすレンに。カノンノは、思わず目を点にした。そのまま、しばし時間を凍らせる。固形状に。
「そうだよな。もうすぐ夕食の時間だし。俺もお腹すいたしな。大根とか見ていると余計にお腹すくよな」
 カノンノがフリーズしている間にも、にこにこと「そうかそうか」と一人勝手に納得するレン。
 何がどうしたら、そういう結論に持っていけるのか。レンは、いつだって的外れな発言を突発的に降らせるが、今回も例に漏れずその天然ぶりを発揮してくれたらしい。
 違うけど、違うとは到底訂正出来ぬ真実に。カノンノは助かったやら複雑やらで何とも形容しがたい表情を浮かべる。
 だが、そんなカノンノの混雑した乙女心は全く露ほども気取れず。レンは、「待ってて」と冷蔵庫の扉を開けた。
 何だろう、とカノンノがショックから立ち直りかけて好奇心をもたげさせると。
「これ、皆には内緒ね。今日のデザートの一つでもあるんだけど」
 そう言って、レンが取り出して来たのは、一つの白い皿。その上には、ぷるんと揺れる真っ白な四角い固形状のものが二つほど乗せられていて。
 カノンノは、じっと二秒ほど物体を凝視して。

「・・・・・・ババロア?」
「そう。これ、大根のババロアなんだ」
「え!?大根!?」

 意外な正体に、カノンノは思わず目を丸くした。パニールもふふふと楽しそうに笑い、レンも面白そうに笑顔を零す。
「そうそう。料理の本に載っていてね。試しに作ってみたら、これが意外に美味しいんだ。カノンノも一つどう?洗濯物を取り込んだご褒美として」
 はい、と目の前に差し出され。カノンノはそのババロアな大根という奇妙な取り合わせに戦々恐々としながらも、手を伸ばす。
 恐る恐る口に入れて。もぐりと、ひと噛み。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 また、もぐりとひと噛み。もぐもぐと、舌の上に転がる味を噛み締め。
「・・・・・・美味しい!」
 意外性に富みすぎた感想に、カノンノ自身驚きを覚えながらも素直に感嘆した。カノンノの正直すぎる眩しさに、レンも嬉しそうに目を細める。
「だろ?コクがあって、美味しいよな」
「口当たりもまろやかだし。凄い!」
「もっと欲しい?」
「うん!」
 カノンノの返事とほぼ同時に、冷蔵庫から大皿を取り出しレンは皿の表面を覆っていたラップを取り去る。
 二人が共にいそいそと食べ始めるのを目の当たりにし、パニールは「あらあら」とくすぐったそうに片手を頬に当てる。
 十二分に量を作っているとはいえ、カノンノと、そして食欲旺盛なレンがつまみ食いをしてしまったら、全員に行き渡るかしらと、パニールの脳裏に一抹の不安が過ぎったが。
 それも、微笑ましい風景には全て掻き消される。この幸せな空間には無意味でしかない。
 そして、何より。自分の娘でもあるカノンノが、心から幸せそうに好きな人と寄り添っているのを見れば、それだけでパニールにとっては満足なのだから。

「・・・・・・さ、私はこのレンさんが剥いてくれた大根を菊花にしましょう」

 こっそりと、極力羽音を立てない様に。パニールは花を咲き綻ばせる二人の後ろで、せっせと大根を結っていくのだった。



 どうか、その手を。
 少しの間だけ独り占めにさせて。





恋愛小説は修行修行修行の嵐だと改めて思い知らされました。
大根のババロアは美味しいらしいです。ちょっと食べてみたい・・・・・・大根おろし。

【2009/4/11】

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