その時、確かに。 自分は、貴方の心に触れた。 君の手(SIDE-K) 「・・・・・・あの海の声、お父さんとお母さんじゃ、なかった」 お父さんと、お母さんじゃ。なかったよ。 ニアタ・モナドから帰還した直後。そう呟く自分に、パニールはおろおろと、動揺する気配だけを自分に伝えた。顔を上げなくても、分かってしまう。長年傍にいた、家族なのだから。 覚悟していた。あの声は本当は両親のものではないと。薄々、違うのではないのかと疑念を抱いていた。感付いていたから、正体を暴いた時の衝撃への心構えをしていた。 声の主と直接対面することを何より望んで同行したのは、自分。他ならぬ自分自身で、曖昧で不確かな現状に決着を着ける決意をした。 そうして、挑んだ。傍から見たら悲壮な面持ちをしていたのかもしれない。レンが時折気遣う様に見てくれていたのを、自分は知っている。 その眼差しがあったから。存在があったから。 パニールがいて、レンがいて。見守ってくれる人達がいる心強さを直に、改めて刻んで。 だから。大丈夫だと言い聞かせて、ニアタ・モナドに足を踏み入れた。 でも。 “お前は、かつて我々の世界に住むディセンダーだった。そして、我々は世界を見守るために肉体を捨て、機器に宿った精神集合体” その事実は。残酷なまでに自分を打ちのめした。 ディセンダーであったかもしれない、とか。憧れだったディセンダーがかつての自分の前世だったとか。それも衝撃的で頭が飽和状態になりそうな真実ではあったけれど。 でも。それよりも何よりも。 あれは、両親の声ではなかった。両親は、もう―――。 改めて、突き付けられた。微かな、糸よりも頼りない希望に縋っていた自分の手は虚しく宙を切って。見るも無残なまでに粉々に砕け散った。 両親では、なかった。覚悟は、していたはずなのに。 小さい頃から。それこそ物心が付いた頃から耳にしてきた声。育ててきてくれた声。 両親かもしれない。両親は生きている。いつか、会える。自分が、良い子にしていたら。生きていれば必ず、絶対、再会出来る。 だって、自分達は。同じ空の下で生きているのだから。 奮い立たせて、顔も知らない両親の絵を描いていた幼い日々。希望を胸に、声を追いかけ続けてきた。全ては、両親と再会出来る日を夢見て。 でも。 「・・・・・・っ、たん、じゃ」 それは。 「パニール、が・・・・・・」 全部。 「・・・・・・パニールが言ったんじゃないっ!!」 もう、叶わない。 「パニールが、言ったから!パニールが、“あの声は、ご両親のものかもしれませんね”って。そう、言ったから!!!」 泣きじゃくって、叫んだ。悲鳴に、近かった。涙で濡れたその剣幕は、確実にパニールを傷付けた。 叫んだ瞬間、パニールの顔が辛そうに歪んだから、自分の心も一緒に傷付いた。 後悔した。でも、止まらなくて。 理性では制止を訴えかけるのに、堰を切って溢れ出した感情の奔流は爆発的なまでに頭を真っ白にさせた。 「だから、私、あの声は両親のものだって!そう、信じてきたんだよ!」 叫んで。訴えて。血が、脈が、鼓動が、身体が、心が、全てが慟哭した。もう自分で何を言いたいのかも分からないくらい混乱していた。 ただ、「ごめんなさい、カノンノ。ごめんなさい・・・・・・っ」と泣き崩れるパニールを目の前にして、もう自分も激情のままに泣き叫んだ。 声が嗄れて。目の奥が熱くて。頭が痛くて。喉は引き攣って、身体は熱がこもっているのに、同時に冷えた感覚を走らせる。 わんわん泣いた。みっともないくらい咽び泣いた。 きっと、これは生まれて初めての心からの大泣き。 子供みたいに泣きじゃくって、伏せている間。 ただ、ぽんぽんと。レンが頭を撫でる感触だけが、自分の体内に優しく浸透していった。 彼がいたから、自分は冷静さを取り戻して。 泣いて泣いて泣き明かしたら。何だかとってもスッキリして。 一晩近くパニールと二人で泣いていたみたいで、気付いたら薄暗かった空がうっすらと色付いていて。朝日がゆっくりと水平線から顔を出すのを、神聖なものを目の当たりにした様な気持ちで眺めた。 それは、とても眩く、清冽で。身体を切るような冷気の中を鮮烈に、けれど何もかもを受け入れて柔らかく世界を照らし出す様は、壮大で厳粛な雰囲気を纏っていて。夜明けと一緒に、闇に支配されていた自分の奥底にも一条の光が差し込んだ。 空が徐々に明るく笑みを広げ。安らかだった海面も眠りから覚めていく様にきらきらと煌いて、それが一層神秘的な光景を鮮やかに彩る。 それは、まさしく。 ――光纏いしもの。 その単語が、自然と脳裏に浮かんだのは、きっとその朝日を背景にレンが微笑んでいたから。 神々しくて、空から舞い降りた世界の使者の様にさえ思えて。ただ、眩しくて。 ずっと、見つめていたかった。 そして、同時に。 「―――大丈夫」 「大丈夫だよ」と。激励と共に撫でてくれた手の平の温もりは、自分にこれから先へ進む勇気と熱意を授けてくれた。 思えば、ずっと一緒に歩いてきた。 いきなり空から降ってきて。記憶喪失で自分の名前しか覚えていなくて。 最初は自分がギルドの先輩だったのに、働き者の彼はすぐに順応してあっという間に溶け込んでしまった。まるで、旧知の仲みたいに仲間達と接する様に凄いなと素直に感嘆していた。 けれど。 「レンが、ディセンダーだったのか」 誰が、言い出したのか。きっと、誰もが口を揃えて驚きと疑心を唱和した。 時折、忘れてしまうけれど、彼はディセンダーなのだ。でも、やはりその事実はすぐに忘却の箱に葬られてしまう。彼の振る舞いは、あまりに自分達と同じだから。 彼は、よく笑う。よく食べる。よくからかう。よくボケる。よく働く。よく寝る。よく手伝いをする。よく相談に乗っている。よく嗜めている。よく―――。 彼は。自分の感情に正直で。動きたい時にはすぐさま行動に移してしまう。 そこに、躊躇いは無い。例え、どんな豪傑でも一瞬身を引きそうな危険にも臆する事無く飛び込んで行ってしまう。自らの危機など顧みずに。 それは一見、勇敢。それは素晴らしい人格者。 誰もが讃えるだろう。彼を知れば、「英雄だ」と。 でも。 同時に。彼は、ディセンダーであるのだと。嫌でもぶち当たってしまう事実の裏付けだった。 ディセンダーは憧れだった。憧れて、憧れて、憧れて。 不可能も恐れも知らず。やりたい事には一直線。そんな風に、生きてみたい。 小さい頃からよくパニールにお話をせがんだ。大好きで、自分を鼓舞してくれる何よりの宝物。 けれど。 “ディセンダーはまた世界樹へ―――” 今は。 「もーう、何処行ったんだろう、レンってば」 アッシュとガレット森林区へ出かけ、そこから帰還した直後。レンはパニールお手製のパフェをぺろりと平らげてからふらりとまた姿を消してしまった。 せっかく森林区でのお話を聞こうと思っていたのにと、カノンノは少しだけ気落ちしながらキッチンを後にしてレンを探すことにした。正確には、レンが見当たらない事実に気付いて居ても立ってもいられなくなったカノンノを、パニールが後押ししてくれたのだが。パニールには彼女の気持ちはお見通しらしく、優しく見守ってくれている状況だ。 好意に甘えて船内を探しているが、チャットには「依頼は引き受けてはもらっていませんから、船にいると思いますよ」と太鼓判をもらったので、あちこち探してみたのだが。誰に聞いても「知らない」と首を振られるばかり。 ―――何処行っちゃったのかな、本当に。 もう一度繰り返すと同時に、不安が胸を黒く押し潰す。 ディセンダー。彼の、正体。 自分はディセンダーに憧れていた。小さい頃から、ディセンダーの生き方は目標で。そんな人になりたいとずっと希っていた。恐れずに真っ直ぐに自分の正しいと思う道を歩む。そんな風に前を向く事が出来たなら。 だから。レンがディセンダーだと知った時、本当に嬉しかったのだ。本物に、そして自分が思い描いていた通りの人柄に。想像以上に「人」であることに。安心感と頼もしさと眩さを覚えて。 けれど、同じくらい。薄暗い不安が常に背後から忍び寄る様になった。 ディセンダーは、御伽噺の中では。役目を終えたら。果たしたら。 世界樹に。 「・・・・・・っ、あ」 視界が大きくぶれるのと、最後に辿り着いた甲板の先に彼の者の後姿を発見するのはほぼ同時だった。掴んだ目標で活力を取り戻し、カノンノは懸命に足の裏に力を入れてよろけるのを堪えた。 その人物は、ぽかぽかと、春の麗らかな陽気が抱きかかえる中。船縁に両腕を預けて、その上に顔を乗せて日向ぼっこをしていた。 その表情は常の笑顔が更に緩んでいて、実に気持ち良さそうで。 やっと見つけた終着点に、カノンノは心の底から安堵の息を漏らした。まるで何千メートルも全力疾走した疲労感を覚える。そんなに走り回っていないはずだから、気持ちの問題なのだろう。 いつから、こんなに彼を目で追う様になってしまったのか。そして、彼の一挙手一投足に一喜一憂することになったのか。 そして。それを不快どころか幸福と捉えてしまう自分は、きっと一生レンには敵わない。その予感が、した。 「―――レン」 呼びかけると、レンはゆっくりと首を巡らせてきた。 自分を目にして、嬉しそうに目元を和らげるささやかな変化がまた自分を舞い上がらせる。それに、彼は気付いているのだろうか。 「カノンノ」 「・・・・・・レン、日向ぼっこ?」 「うん、そんなところ。気持ちいいよ。一緒にする?」 「・・・・・・うん!」 軽く誘われただけなのに、自分の顔が輝くのが嫌でも知覚出来た。自分の想いを見透かされやしないかと冷や冷やしながらも、いそいそと隣に並ぶ。せっかくのお誘いをふいにするなんて以ての外だ。 彼は、ゆるりと笑んだ後、また視線を海に戻した。釣られて海面に目を走らせれば、さらさらと滑らかに降り注ぐ陽光を反射して、きらきらと煌く水飛沫が真っ白で綺麗だった。まるで海の中に星が散りばめられているみたいで、幻想的な奥深さがある。 気持ちいいねー、と身体を伸ばして景色を堪能していると、レンも「そうだね」とのびやかに同意してきた。今の響きは実に心地良さそうに身も心も眼前の風景に委ねている種類だと、カノンノは秘かに分析した。 穏やかに時が流れる。頬を撫でる風も涼やかで、絶景に彩を添えてくれる。 ああ、このまま眠ってしまいたいなとカノンノが瞼を下ろし始めた時。 「・・・・・・カノンノ」 「・・・・・・うん?なに?」 前触れも無しに名を呼ばれ、カノンノは反射的に振り返る。それがなるべく不自然にならない速度であったなら良いと、切に願いながら。 何だろう、と少し浮き足立ちながら心待ちにしていた。して、しまった。 だから。 「あのさ、俺って死にそうに見える?」 朝の挨拶みたいな気楽な口調なのに、物騒で不吉に塗れた内容。カノンノは一瞬、頭が真っ白になった。反対に、世界が真っ黒に塗り潰されていくのを不可思議に感じる。 「・・・・・・え?」 やっとのことで形になった音は、情けないほどに震えていた。先程まで暖かかった心はまっさらなまでに冷え切って。血の気が引くのが、鏡で確認しなくても悟れた。 「アッシュに言われたんだよね。今すぐに死ぬって感じじゃないけど。でも、俺からは死の匂いがするんだって」 淡々と、笑顔で補足をされる。 どうして、そんな何でも無い風に、今日の夕食のメニューを予想するみたいな口調で話せるのだろう。 それは、酷く重大で、これからの様々な未来を左右する事態ではないのか。 彼は、時折。自分達の感覚を遥かに超えた言動を、取る。当たり前の様に。それが自然の摂理であるかの様に。 今、みたいに。自分のことなのに、他人事みたいに、解説する。常に、客観的に、捉える。 どうして。 レンのこと、なのに。レン自身の未来を激震するほどの要素かもしれないのに。 なのに。どうして。 「俺は特に疑問に思わなかったんだけど。普通、言われたらビックリするんだろうなって後からよく考えてみたんだ。それでもって、普段から死の匂いがするって、ちょっと変かなって」 もっと。 「・・・・・・俺って、そんなに儚いかな?俺としては、大いに人生楽しんでいるつもりなんだけど」 「――――――――――――」 もっと、自分を―――。 最後の方の言葉を耳にして。ともすれば素通りさせてしまいそうなまでに混乱していた頭が、その一言で急速に冷静さを引き戻してきた。はっと、立ち返って今し方の中身を反芻する。 俺って、そんなに儚いかな。 彼は、確かにそう言った。気にしていた。 きっと、最初に出会った頃なら、同じことを口にしていても冗談みたいに流していた。同じ様に「人生を楽しんでいるつもりだけど」と一蹴して、それで話を終わりにしていた。他の人に確認するなんて、絶対にしなかった。選択肢に挙げることさえ思い付かなかったに違いない。 でも。 彼は、口にした。気にしていた。引っ掛かりを覚えた。心の中に、少しでも響いたのだ。 それは、彼が。 彼の内側で、何かが変化を来たし始めているという兆し。 「・・・・・・うん」 だから。 「儚く見える時、ある」 「―――――――――――――」 レンが何事か口を開こうとするのを遮って、カノンノはきっぱりと断言する。 その言い方が少々怒った風に響いたけれど、構わなかった。 そして、その後のレンの微かな異変を嗅ぎ取れただけで十分だった。 レンは一瞬だけ、困惑した様な色を走らせた。他でもない、自分自身の回答に。他の者なら気付かない、ほんの数コンマの変化。だが、彼が誕生した時から共にいたカノンノはそれを見逃さなかった。 彼が、それを、自分の評価について冗談を被せて真剣に尋ねて来たということは。彼自身の中で、自分の在り方を見直しているという証。そんな気がした。 「レンは、最初から頼もしかった。恐れを知らない、不可能も知らない。自分のことさえも、分からない。記憶が無いから、――そもそも、初めから無かったから。だから、躊躇もせずにどんどん前に進んでいって、困っている皆を助けて。やりたい事を迷う事無くやり遂げて」 それは、本当に御伽噺と同じ。小さなお手伝いから初め、そしてやがて世界を救うのだろう。物語の、伝承の通りに。 でも。 それは、同時に。 「・・・・・・だから。時々、ふらっといなくなっちゃうんじゃないかって。思う時、あるよ」 “マナを巡る争いを終わりに導き、ディセンダーはまた世界樹へ帰って行きました” 物語の最後も、真実なのだと告げる。 かつてこの世界に救いをもたらしたディセンダーは、世界樹に帰ったのだ。役目を果たした。そう、認識して。名前も姿も記憶も何もかも消して、帰還してしまったのだ。 世界樹へ帰るのは当然の帰結。そこに、未練も後悔もないのだろう。 もし、淋しさや別れの辛さが片鱗にでも蟠っていても。それを振り切って、帰る。 そんな、気がした。それは、時が経つに連れて。彼の生き方を目にするたびに、膨らんでいって。 だから。 依頼を受諾して、旅立つ時。もし、そのまま世界が危機を乗り越えてしまったら。 もう、彼は帰って来ないのではないかと。二度と、この笑顔も見れないのではないかと。 そう考えたら、どうしようもなく胸が、痛んで。息が詰まって、呼吸も出来なくなって。目の前は白みがかって輪郭を保つ事さえ難しくなる。 彼が「ただいま」と何事も無かったかの様に帰って来るたびに、どれほど安堵を覚え、触れたかったか。 アッシュとアイスリザードの討伐に向かった時、どれだけ「付いて行きたい」と舌先まで出掛かって、飲み込んだか。何事も無く船に戻ってきて、「おかえりなさい」と出迎える事が出来たことにどれだけ幸福を抱き締めたか。 きっと、彼には分からない。 「・・・・・・カノンノ?」 心配そうに揺れる声音。泣きたくなるくらい優しいのは、彼のものだからだろうか。それとも、この心が聞かせる錯覚なのだろうか。 どちらでも良い。 ただ、このまま彼の声が、消えなければ。それだけで。 自分は。 「・・・・・・俺、消えないよ」 ぽつりと、落とされた呟き。ささやかな音のはずなのに、それは波の音の合間を縫って明確にカノンノの耳に届けられる。 ぱっと、顔を上げると、レンの眼差しとかち合って。澄み切った旋律が聞こえてきそうな程に冴える琥珀色の双眸に、自分が映し出されていた。 本当に、綺麗な瞳だと思う。変哲など何も無いはずなのに、彼の瞳だと思うだけで水晶みたいに透き通った色に見えてくるのだから。恋というのは恐いと深々と実感する。 「俺は、消えない。だって、消える理由がないから」 「・・・・・・、レン」 「なんなら、握手しようか?」 「え?」 「俺がここにいるって、一番手っ取り早く分かるだろう?」 ほら、と手を差し出してくるレンに、カノンノは「そうじゃない」と反論したかったが、すぐに飲み込んだ。どうしても、言葉として外界に表出出来なかった。 彼が、あまりに嬉しそうに手を差し出してくるから。本当に楽しそうに笑うから。だから、その「消える理由」は永遠に来ないのではないかと、信じたくなる。 信じたいから、触れたくなる。今、目の前に差し出された、彼の手に。そのまま、消え去ったりしない様に。ぎゅっと掴んで離したくなくなる。 ―――消えたり、しないかな。消えたりしちゃったら、どうしよう。 ありえない想像を巡らせながら恐る恐るといった様子で伸ばすカノンノ手を、レンはさっと取った。積極的な行動に、カノンノは驚愕と羞恥で頬が熱を持ってくるのを感じる。 ああ、もう振り回されっぱなしだ。恨みがましく思いながらも、今繋がっている温もりが優しくて。全ての悩みが吹き飛んでしまいそうになる。 とくとくと、小さく脈を打つ鼓動。手の平越しに、伝わって。その音がどうしようもなく自分を落ち着かせる。 「・・・・・・あったかいね」 「そう?」 「うん。レンの手って、あったかい」 生きてるって、分かるから。安心出来る。 続けてしまいそうな言葉は、舌先で押し留めて。カノンノは、きゅっと彼の手を握り締めた。祈る、様に。想いが、伝わる様に。 レンと、一緒に生きてきた。ニアタ・モナドから帰還して、パニールから真実を告げられた時。ぶつかってしまった時。酷い事を言ってしまった時。それでも素直になれたのは、きっとレンが「大丈夫」と頭を撫でてくれたから。 本当に短期間だったけれど。様々な山を乗り越えてきたと思う。一緒に、苦難を渡り歩いてきた。 願わくば、これからも、共にいたい。一緒に、いたい。 だから。 ―――消えないで。 声にならない願いは、溶けてしまって。必死になって涙を堪える。 ただ、伝われば良いと思った。「彼がいなくなるのを望んでいない人がいる」という事実を。 自分の気持ちに精一杯で。彼の手を掴んだまま、離さない、離したくないと強く望むことで頭が一杯で。 だから、カノンノは気付いていなかった。 レンが、少しだけ、――ほんの少しだけ、驚いた様に目を見開いていたことに。 だから、知らない。カノンノは、気付かない。 「・・・・・・カノンノ」 この時、どんな想いで、どれだけの感情を織り込んで呼んでくれたのか。 知らないまま、カノンノは自分の名を呼ぶ春風みたいな柔らかな心地に抱かれた。 その時、確かに。 自分は、貴方の心に触れた。 カノンノ視点。彼女の方はこんな事を考えていたんだよ、という。 彼女は絶対に彼の手を離さないと。この時あたりに決心するのではないかと思われます。 【2009/3/31】 |
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